おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

推しのアンチとの付き合い方

いや付き合う必要ないでしょ(セルフつっこみ)

とは思うけど、世の中ファンもいればアンチもいる。それが当たり前のことだと思う。

みなさんは自分の推しのアンチにはどう対応しますか?

①アンチなんて嫌い!叩くなら見るな!推しくんは素晴らしいんだ!派

②アンチいるのは知ってるけどわざわざ叩いているところを見たくない。悲しいから。派

③むしろ進んでアンチの意見見ちゃう派

さあどれに近いでしょう。

 ちなみに私は③です!!!アンチのご意見だいすき!!!

ぶっちゃけ盲目信者のご意見よりアンチの方が的を得ているし正論なことが多い。

私も推し(声優)くんのアンチの意見を見ると「超~~~~~わ~~~か~~~~る~~~~~!!!!!」となる。ちなみに推し(俳優)さんのアンチはいません!というか何の話題でもスルーされてます!それはそれで悲しい!

話が逸れた。

個人的にアンチというのは

①もともとファンだったけど何らかのきっかけで嫌いになった

②第一印象から嫌いでした

③第一印象から嫌いでしたが自分の推しと共演が多くて嫌でも情報が入ってきちゃう

④知らんけど悪口言うのたのしい!!

大体これらの層に分けられると思う。

この中でもやはり①と③は情報をしっかり持っている分、すごく的確な意見が多い。

そのへんの盲目信者の「しゅきしゅき~全部しゅき~」というご意見より「なるほどな」と思わせられる。

なので「推しくんの悪口言わないで!!!嫌なら見ないで来ないで!!!!」と言う人は盲目信者というやつかなと勝手に思っていた。

そりゃ信者とアンチは相容れないに決まってるけど、悲しい思いをするならアンチなんてほっときゃいいのに、信者であれば信者なほどアンチとドンパチしたがるような傾向もある。そんなことしても誰も幸せにはなれないのにな…。

なので一番平和なのは「アンチの存在は知ってるけど見ない」勢だと思う。というか多分一番普通なのがこれなのかな。

なんだってそうだけど自分が傷つくとわかっていて自ら傷つきに行くなんてアホすぎるもんね。

でもまあ、過激な盲目信者がいるように、過激なアンチもいるもので、自衛しているファンにもアンチ営業をするアンチもいたりする。

あと「知らんけど悪口言うのが好きなだけ」のアンチ。推しくんが炎上してからこの勢が急増していて自らアンチに飛び込んでいた私もさすがにしんどいなと思ってきた。

事実を叩かれるのは全然構わない。演技が下手!ブス!とかそのへんは人によって感じ方が違うし。っていうか実際そうだし(小声)

でも根も葉もない噂がデマを呼び、更に無茶苦茶なこじつけで変なデマを呼び、それで叩かれるのを見ると、ただひたすらに「知らんけど悪口言うのが好き」勢と「とにかくこいつが嫌い」勢の負のスパイラルがすごいなと思う。

まあ、こういうのは時が経てば落ち着くと思うので放っとくのが一番だと思うけど。

そして、こういったアンチが出現しても推しくんが火に油を注ぐような言動をしないことを祈るしかない。

先日友人に「お前の推しは炎上後に今までのテンションを保ちつつ火に油を注ぐ失言を一切してなくて偉い」と褒められた。やったね推しくん!

世の中すべての人に好かれるなんて無理なのだから、アンチが出現するのは仕方ないことだ。

それに対して「アンチなんてひどい!叩かないで!」とわーわー言うのは不毛すぎる。

個人的には、「好き」も「嫌い」も紙一重だと思うから「アンチがいる」ということは「その人に(好き嫌いは置いといて)興味を持っている人がいる」と言うことだ。

一番悲しいのは「興味を持たれないこと」だと思う。

推しさんだって興味持たれていると思いたい。(小声)

叩かれるっていうことは、それだけ知名度が上がったんだね、有名になったんだねって大きな心で見るのも必要なのかもしれない。

そして執拗に叩く人ほど、もともとはその人をすごく好きだったのかもしれない。何かしらでアンチになってしまったのかもしれない。やっぱり「好き」と「嫌い」は紙一重だ。

何かの記事でも書いた気がするけど、「中途半端な知識しかない人ほど声がでかい。本当に深い知識がある人は静かに見守っているものだ」という某観光地の案内人の方の言葉を思い出す。

アンチだろうが信者だろうが、わーわー騒いで無知な自分をさらけ出したくはない。(アンチは無知でも知ったこっちゃないだろうけど)

信者であるならば、推しを信じて大きく構える方がかっこいいと思う。

オタクにかっこいいもくそもないだろうけど…。

ただ推しが最高すぎて「もう推し最高!100点満点!!!」と騒ぐのは許してほしい。

ペンライトで推しアピールってどうなの問題

そもそもペンライトとサイリウムの違いってなんでしょう。そんなレベルですこんばんは。

さて、私はずっとペンライトを振るよりも己の頭を振る界隈に長くいたのでペンライトの文化とかにはものすごく疎い。

初めてキンブレを買ったのは数年前の某声優さんたちのライブに行ったときだった…。

そこからペンライトを使用する機会が増えている。

2次元アイドルの急増。そして2.5次元舞台のライブの急増。ライブじゃなくても舞台中にライブパートがあったり。

そこで最近気になることがあった。

それがタイトルどおりなんだけど、これって一般的にはどう思われているんだろう。

私個人としては(めちゃくちゃバンギャ的に表現するけど)好きなメンバーのギターソロとかでハート飛ばして咲くのとだいたい同じことだと思ってたから別にいいんじゃないのかと思っていた。

しかし友人と話していたらそうじゃないと言われた。

「ペンライトを持ち、光らせた時点で私たちは舞台装置の一部のなったのに勝手な行動は許されるのか?」と言われた。

そういう考えがあるのね…。

たしかに、私も最近あんステだったり某アイドル作品のライブだったりに行って、「ペンライトの色がバラバラすぎて色が汚いな」と純粋に思った。

逆に、演者が「こっちのブロックは青!そっちのブロックは赤!」と指定し、その通りに一斉に光らせた時は非常に綺麗だと思った。

その時、ステージよりも天井の方が近いような所謂クソ席だったんだけど(モニターすら見づらくて同じような衣装で一列に並んだときは誰が誰だかわからなすぎて友達と爆笑していた)統一されたペンライトの光を見たとき思わず隣にいた友達と「この席でよかったね」と言い合ったものだった。

ステージからの景色も、同じように見えているのかなと思うと、やっぱり「ただ光る」だけで綺麗とは思わない。統一されてこそ綺麗だと思う。

そう思うと、周りとは違う推しキャラの色をアピールのために光らせるって、どうなんだろうと思ってきた。

そりゃ自分の色を見つけた演者は嬉しいだろうけど、全体的に統一されてない汚い光景は嬉しいものなのだろうか。

っていうかそもそもキャラの髪色だとかイメージカラーだったり、公式で示されてない色を勝手にアピールされても「その色は俺のキャラの色だ」って理解するのだろうか…?と思うと「推しにファンがいるよアピール」というよりただの自己満足じゃん。

自己満足のために統一感を乱し、そんな方々がどんどん増え、色が汚いペンライトの海。演者は喜ぶのかなあと思った。

「ペンライトを光らせた時点で自分も舞台装置の一部」という考えは人それぞれだと思うけど、そう思うことで、たとえクソ席でも「私もこの空間にいて貢献できる」と思うとちょっと救われた気持ちにはなる。個人的には。

己の頭を振るような界隈のライブでも、曲に細かい振りがあったりするが「ライブをどう楽しむのかは個人の自由。好きに楽しめばいい」精神なので「ライブではこうするべき」みたいなのは必要ないと思う。もちろんマナーとルールさえ守れば。

でも、特に「このユニットはこの色だよ」と指定されているようなライブで無理矢理違う色で推しをアピールするのはどうなんだろう。

それが悪だとは思わないけど、ただ単純に「ペンライトの色が統一されてないとすっげぇ汚い」とは思う。

ペンライトの文化って私が知らないだけで暗黙のルールみたいなのがあるんですかね。よくわからないです。

余談ですが、本物のガチ女性アイドルのライブを見る機会があり、その時の男性オタクたちの統一されたコール、振り、ペンライトは迫力がありすぎて圧倒された。

私のような2次元アイドル、アイドルものの舞台が好きでペンラ振ってる人間とは格が違うと思った。

「統一」は「美」なんですよね。あれはあれで芸術だな…とステージじゃなく客席に感動した。

 

あともっと余談だけどペンライト振る時、バンギャ特有なのか私が変なのか絶対裏拍で取っちゃうんだけど、なんでみんな表で拍が取れるんだろう…。おかげで裏で取ってる人を見ると「この人も仲間か」と思うようになりました。

オタクだって現実を見る

どこで読んだかわかんなくなってしまったけど、以前はてブロで「結婚適齢期のオタク」についてのエントリーを読ませて頂き「しんど!!!!!マジでそれな!!!!!」と天を仰ぎました。

リアコの方はどうなのかわかりませんが、リアコじゃないオタクなので結婚願望はあるけど推しのためにお金の時間を割きすぎて結婚できる気がしない。あと推しくんが最高。婚活しようと思っても自然と公演スケジュールを調べていて手帳が公演で埋まる。あと推しくんが最高。とか…結婚適齢期オタクあるあるですよね???そうですよね???

まず職場での出会いは皆無。周りはみんな既婚者だし。

今後異動とかして独身フリーの人がいたとしても、ぶっちゃけ言って私の職場にいる職種の人には恋愛感情を抱かないと思う。親とか周りは「その職種の人なら安泰ね」とか「しっかりしてそうね」とか言って職場で相手を見つけて欲しそうなことを言うんだが、世の中が抱いているイメージとは違って実際は一般常識もわからず人の話も聞かないプライドが高いだけの人ばっかりなんだよなあ…。

その人たちに腹を立て帰りの車の中でハードロックをがんがんにかけて退勤している日々を送っている私が職場の人に心惹かれるなど今の時点では考えられない。

そしてそもそも、多分私は相手への理想が高い。

今までお付き合いした人のことを振り返ると、私は毎回オタクであり腐っていることは公言していた。というかオタクを公言していた状態で付き合ったことしかない。

相手は非オタクだったりライトオタクだったり重度のオタクだったり様々だったが、みんな最初はオタクに理解を示してくれた。

付き合う時必ず最初に「私は何よりも推しのことを最優先しますがそれでもいいですか」と言っておく。最初はそれでも構わないと言ってくれるのだが、次第に「俺と推しどっちが大事なの」と言われる…。まあ推しを優先する限度というものがあるんだろうけど…それを私が超えていたのだろうけど…そこは私が悪いのはわかってんだけど…目前に推しの公演やライブがあったら、脊髄反射のようにチケット取っちゃうんだよね…。

そしてそんな重度なオタクな私をしっかり理解してくれる重度のオタクと付き合っても、お互いオタク活動が忙しすぎて会うどころか連絡も取らないので「付き合ってる意味なくない?」となり自然消滅。

オタクを理解してくれて、遠征も行って来いと言ってくれてほどよい距離感で付き合える、常識もあって誠実な人がいいとか思うけどそんな人いる?希少種じゃない?

人並みにお付き合いするためには今のようなオタク生活は控えた方がいいのはわかっている。わかっては…いるんだよ…。

実家に帰れば「良い人はいないのか」攻撃をされる。兄は所帯を持って子供もいるので「もう孫は十分でしょ」なんて冗談交じりに言うと祖母から「頼むから私が生きているうちにウエディングドレス姿を見せてくれ」と言われ言い返せなかった。我が家で娘は私1人だし、祖母にとっても孫で女は私1人なんだよな…そりゃそうも言うよな…。

とりあえず今の日本の医療技術の進歩を信じてあと数十年は長生きしてください、ばあちゃん。

職場のことでキレ散らかしている様子を見て両親は「職場で良い人見つけろ」と言わなくなってきたが、そろそろ結婚してほしいとは思っているんだろうなと感じている。

そのためにはこのオタク業を控えた方がいいのもわかってる。

推しの舞台やイベントに通うためには交友関係を犠牲にすることが多いと思う。私も非オタクの友人との付き合いが薄れてきた。でもそれじゃあ駄目なんだよな、と思い、職場や学生時代の友人たちの飲み会に積極的に参加するようにしている。それが出会いになるとは思ってないが、身近なところから踏み出すしかない。

街コンとかそういうのは行った方がいいのかと思うのだが、賛否両論で正直ずっと躊躇っている。

何をどうすりゃいいかなんてわかんないけど、とりあえず今の自分ができそうなことから変えていきたい。とは思ってる。

でもいずれ、結婚して子供ができたら今のように軽々と遠征はできないしソシャゲだってやれる時間が削られていくだろう。そう思うと「今のうちに行っておかなきゃ!」と必死にチケットを取ってしまう。でも相手もいないのだから、そちらに努力する時間も割かなくてはいけない…でも今のうちにもっと推しを見たい…。という葛藤。

そんな葛藤を抱きつつも、結局は推しのために遠征しているんだけど。

でもふと、「推しのために現場に行かなきゃ!推しのために金を落として推しのために働いて推しのために推しのために」って言い過ぎていると「誰の人生を生きているんだろう」と思ってしまう。

推しのためなら仕事頑張れる!推しのために現場行く!」とか言ってるけど結局それって「推しのため」という綺麗事を掲げているだけで単なる自分の欲求なんだよなあと思ってきた。「推しのために現場行く」「推しのためにお金落とす」って、結局は自分が見たいだけじゃん。自己満じゃん。誰に頼まれたわけでもないのに勝手に義務を感じて勝手にお金と時間を割いて、そのあとに待ってるのって何だろう。

結局自分は自分の人生を生きるしかなくて、推し推しの人生を生きるしかなくて、私が推しの人生に無理矢理介入することはできない。別に介入したいわけじゃないけど。

なんのためにオタクをしているんだろう。推しに認知して欲しくて?推しに感謝されたくて?推しと結婚したくて?少なくとも私はどれでもない。推しが楽しそうに好きな芝居をやっていて幸せそうな姿を見たくてオタクしている。

そしたらもっと、私は私の人生もちゃんと生きなきゃいけない気がする。だって幸せそうな推しを見たいがために、自分の人生を犠牲にするなんて、取り返しがつかなくなったら後悔するんじゃないだろうか。

推しが見れるなら独り身でもいい、自分の人生なんてどうでもいいと思った時期もあったが、結婚が現実味を帯びた歳になると「独身で生涯を過ごすには貯金はいくら必要だろう」とか「老後暮らしていくにはどうすべき」とか「年金だってもらえるのだろうか」とか色々考える。

そもそも一般人より貯金額は圧倒的に少ないだろう。推しのためにお金使ってるからね。そんな平均以下の貯金で仕事がなくなったらどうやって生きていく?死ぬしかなくない?死ぬか?でも死んだら推し見れないよ?いやだ~~~~~~~~~~~~!!!!!!!

1人でこの先どうなるか分からない世の中を生きるより、2人で生きる方が圧倒的に安心だろう。「あの時もっとちゃんと自分の人生に向き合ってオタクしていなければ」と後悔しながら孤独死は正直したくない。今、若いからこそ(もうだんだん若く無くなってきたけど)「独りでいい」と思えるのであって、実際独り身で生涯を過ごしてそれでも本当に「独りでいい」「自分のことより推しが幸せなら」って思えるんだろうか。私は善人でもなんでもないからいくら推しとは言え、人のために自分の人生を犠牲にできるほど人間ができていない。結局自分が満足のいく生活ができて幸せになれるかの方が重要だ。でもその自分の幸せには「推しを見ること」「推しが幸せなこと」も含まれるから矛盾が生じるんだよ…わかってるよ…。

なんかめっちゃ壮大な話になったけどオタクであったことを後悔しないためには、もっと自分の生活、自分の人生も見つめる必要があると思った。

オタクであることを後悔したくないけど、オタクとしても後悔はしたくない。

矛盾すぎる。そのちょうどいいバランスがとれればいいのだけど、それがどこなのかわからない。難しいな、生きるって。答えが欲しい。ないだろうけど。

普段「推しが最高!推しかっこいい!推しがかわいい!」と沸いてる私も、現実を見ることもあるよっていうだけの話でした。

2.5次元はやはりしんどい~「あんステJoK」LV観ました~

やっと「若手俳優について」のグループで記事が書けるぞ!やったね!LVだけど!

推し俳優はいないが、原作は事前登録から始めそれ以来ずっと好きなコンテンツ。クソ飽き性な私がここまでハマったのは珍しい。そんなあんスタの舞台、最初は絶対観ないぞと思っていたのに前回コロッと沼に落ちた。舞台というよりキャラが具現化されたリアルドリフェスみたいな、なんというか舞台とはまた別のエンターテイメントみたいな感覚で楽しかったのだ。

しかし今回はExtra StageということでKightsのイベントの中でもボーダーが鬼畜だったジャッジメント。私の推しは忍くんでその次が大将という超極端な2人のためkightsメインならLVでいいかな~ということでLVを観た。KightsPではないけどジャッジメントのイベストはすごく好き。というかKightsイベのストーリーはいつも好き。

<ここからネタバレ含みますので円盤まで知りたくない方はご注意を>

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全肯定は愛なのか

 

que-9.hatenablog.com

 以前、この記事を書いたきっかけはまわりに「推しの名前を見れば条件反射のように推しの演じるキャラを推しキャラと主張するタイプのオタク」が結構いたので、好きじゃねぇな~と思い書かせて頂いた。

そこでふと、「いやああいうタイプの他にもキャラをちゃんと理解した上で推しが演じていれば推しの演技が好きだからすべて推しキャラという人も結構いるな」と思い、ちょっと考えてみた。

まあ、結論を言うと「考え方・感じ方・推し方等々の違い」なだけなんだけど。

 

そもそも、推しのすべてを肯定することは、愛なんでしょうか。

例えば、推しが今までやったことのない役をやったけど、あまりの不慣れさが全面に出てしまっても「さすが推しくん演じ分け上手い!」

推しがどんな髪型にしても「かっこいい!」

推しが台詞をミスっても「そういうとこもかわいい!」

推しが失言してあとから謝罪しても「全然失言じゃないよ!推しくんが言いたいこと自由に言えばいいよ!それなのに謝罪する推しくんはなんて良い人なの!」

 

だいぶ極端に書いたけど、これらってすべて「愛」なんでしょうか。

いやまあ本人たちにとっては愛なんでしょうけど。

よく「友人なら間違ったことを正してくれるのが本当の友人」とか「間違いを見て見ぬふりをしたり擁護するのは本当の友達じゃない」とか小学校のころから教わってきたと思う。少なくとも私は。

なんとなく、それと同じような考え方なんじゃないだろうか。友人と推しじゃ全く違う存在だけど、「大切な存在」みたいな、そういうニュアンスで。

不注意故に台詞をミスるとか出とちるとか、仕事上の失敗はいくら推しでも擁護しちゃいけないと思う。

特殊な職業の推しくんたちと、我々一般人を比較しちゃいけないのかもしれんが、我々だって仕事でミスったら「ミスっちゃうとこもかわいいな!ミスるとこも素敵だよ!」「全然気にしてないから気にしなくていいよ!」って言われる?いや言われたいけどね?でも普通に怒られるでしょう。それと同じだと思うんだよなあ。

でも舞台はそういう役者のミスも醍醐味のひとつみたいなところはたしかにある。私もめったに噛まない推しさんが台詞を噛んだら「うっわ~~~~~噛んでやんの~~~~~~~!m9(^Д^)」と思うし。でも流石に噛んではいけないシーンで噛んだらそんな穏やかではいられない。それなのに「噛んだこと気にしないでください!私は気になりませんでした(^_^)」とかリプ飛ばしてるのを見ると「お前が気にならなくても~~~~~~~私は気になったんじゃボケ~~~~~~」とキレ倒す。

そして失言とか不適切な言動とか、そういう役者も増えてきたけど、それはやっぱ社会経験もないまま若いうちから芸能活動していると一般常識もわからないのかなと残念に思う。だからせめてこれを機に学んでくれ。と思うのだが、それを「推しくんはそのままでいて!」なんて擁護してしまうと、推しくんの学ぶ機会がなくなってしまう。

それは推しくんにとってプラスかマイナスか、考えればわかることだと思うのだが。

そして、どんな推しもかっこいいとかどんな演技も上手いとか、そういうのは個人の主観が入るのであまり口出ししにくいのだが、個人的には「本当にすべてそう思うの?」と疑問に感じてしまう。

推しだって人間だし、すべて常に完璧なわけじゃないと思う。

とは言っても、私自身がそもそも推しくん・推しさんの「顔」が好きで推しているわけじゃないから尚更そう思うのかもしれない。

下手くそな自撮りがあげられると「なにこの疲れきった顔は!」とか思うし「なにその変な前髪!」とか思うし正直推しの自撮りで「かっこいい」と思ったことが非常に少ないので逆になんでもかっこいいと思えるような人を推している人が羨ましかったりする(小声)

演技だって正直言うと「上手い」と感じるのは大体「好き」と同義なんだと思っている。本当に「上手い」「下手」を言えるのは芝居を長年学んでいる人だけだと思う。

私も大学の時に少々演劇について学んだが、ここの捉え方で物凄く悩んだ。「ただの一般人が『上手い』『下手』なんてわかるはずがないのに言ってもいいものなのか」と。

いくつも観劇したりアニメを見たりしている目と耳の肥えたオタクは「技術が足りてない」ことに気付けることも多々あるが、それと上手い下手はまた別になる気がする。

だからオタクが「あの人の演技が上手い」と感じることは「あの人の演技が好きだ」と大体イコールで繋がると思っている。

だから「推しが好き」なのだから「推しの演技も好き」なのは当たり前だと思う。でも作品を見ていると「大好きな推しの演技」の中にも「嫌い」な部分ってほんの少しだけどあったりするものなんじゃないだろうか。

ちょっとキャラがぶれてる、とか、ちょっと調子乗りすぎてアドリブ入れすぎとか、そもそもキャラの解釈違いとか(これは脚本演出家も関わってくるけど)

推しだって人間だし、完璧な演技ができるわけじゃない。そういうことがあってもおかしくない。でもすべての演技が素晴らしい!私の好きな演技しかしない推しが好き!というのならもうその推しさんすごいっす。ちょっと私にもその推しさんのこと教えて?と思う。

そして、推しが好きで推しを見に観劇しているのだから推しを見るのは当たり前だが、その作品は推しソロステージじゃないのにな、と思うこともある。

そりゃ推しだから、「推しが一番輝いてる!」と思うのは当たり前だし私も毎回観劇後にそう言ってるけど。

でもやっぱり舞台って沢山の人でつくりあげる作品だから、その作品に推しだけがいるわけじゃなくてもっと色んな人がいるのに、それに見向きもしない人を見ると「この人観劇しているんじゃなくてただ推しを観察してるだけじゃん」と思う。

人の推し方や考えは様々だから、それはそれで良いと思うけど「趣味は観劇」とは言えないんじゃないかと思う。

余談ですが、前に私の推しさんがW主演でミュージカルをやったのですがどこのレポや感想ツイート見ても私の推しさんの名前は一切取り上げられておりませんでした。私も観劇後「いやもう一人の座長にすべて持っていかれたわ。私の中では推しさん最高だったけどありゃ持っていかれたわ」と思っていたのでやっぱりね!という感じでしたが一応主演なのにそんなに印象に残らなかったのだろうかと思ったら非常に悲しかった。見方はそれぞれ、感じ方もそれぞれだから「私の中では推しさんが一番」と思っても周りはそうでないことが多い。それに気付くことはショックで悲しくて悔しくもあるけど、「作品」として見ると納得せざるを得ない。それに気付いてようやく「観劇した」と言えるのかもな、と思っていた。

 

なんか話が逸れた。

とにかく、全てを肯定することは本当に「愛」や「応援」になっているのだろうかという話。

 

推しにダメ出しをしろとは言うつもりはない。ただのオタクが出過ぎた真似をするのはただ痛いだけだし迷惑にもなるから。

だけど擁護のしすぎも、推しにとって必ずしもプラスになるとは思えない。

そして、推しが好きなら「作品の中にいる推し」をちゃんと見ることも時には必要なのかもしれない。舞台に出ている推しが、演技をしている推しが好きなのであればなおさら。

以上、完全に個人的な意見でした。

 

 

ライビュは無くなった方がいいのか問題

最近茶の間叩きが盛んな(気がする)ので、ライビュに対する厳しい意見をよく目にする。

ライビュがあるから茶の間がライビュで満足しちゃって劇場に行かないんだ!

ライビュが茶の間の温床になっている!

そんなライビュなんて無くした方がいい!

見たいなら全員劇場へ行け!

という声。

ま~~~~~言いたいことはわかる、わからんでもない。極論だけど。

ライビュって「映像技術、通信技術を利用した映像配信」なだけなのでどっちかというと「映像作品」と呼ぶのが正しい。と思う。

なのでライビュを見て「観劇した」というのは違うし、ましてやライビュを見ただけで実際に劇場で観劇した人と同じ立場にはなれない。

料金だって劇場のチケットよりも安価であり、地元の映画館で見れるため遠征費もかからない。(特に地方の)オタクの経済的に正直行きやすいのがライビュである。

でも!やっぱり!舞台もライブもそういうものは生で観るのが一番!!!!たしかにライビュも素晴らしい技術だけど、生で観た方が魅力が何倍も何十倍も高まる。それに気付いてほしいなあとは思う。

そしてライビュ利用の茶の間を叩く理由として一番多く目にするのは「公式に金が入らない」という問題。

内訳は実際どうなってるのかは分からないがライビュのチケット自体安価だしそれだけでも公式に入る金額は少ないだろうし、それに加え上映する映画館や仲介業者などの取り分も考えるとライビュによる公式の儲け分は微々たるものかと思う。

全国各地で何十何百もの箇所で行ったとして何万何十万の人が利用すれば微々たる儲けもそこそこの儲けになるのだろうが、ライビュ利用を増やすより1人でも多く劇場に足を運んだ方が手っ取り早い気がする。

そう考えるとやっぱり「ライビュより劇場に行った方がいい」というのはわかる。じゃあやっぱりライビュは無くなった方がいいのだろうか…?

ふと友人との会話を思い出した。

某作品の某公演に行こうとチケット入手を試みるもいくつもの先行で惨敗していた時、全国各地でライビュが決定した。

その作品にハマったばかりの友人は「遠征できるほどの休みも取れなさそうだから生で観たいけど地元のライビュに行く」と言った。

「そっか~私はまだ現地のチケット諦めらんないわ~」と返したら友人はこう言った。

「現地に行けないのは悔しいけど現地のキャパ数以外にも、こんなド田舎でさえこの作品が好きなオタクが沢山いるよって公式に伝えたい。そうすれば公式の視野ももっと広がって色んな可能性を感じるんじゃないかな~。そうであってほしい。」

な、なるほど…そういう考えは…なかった…。

確かに劇場に足を運んでる人たちは色んな場所から遠征をしていたとしても、どのくらいの人が遠征民かなんて運営側は知る由もない。極端に言えば全員都民と捉えられても仕方ない。

そう考えるとライビュは「全国のどこにどのくらいこの作品が観たいオタクがいるのか」ということも把握できるのか…と思った。

ライビュは公式にメリットが無いのか?と疑問に思っていたけど、経済的なメリットこそ少ないのかもしれないが「ちょっと気になるけど現地まで行くほどじゃないかも」という沼に落ちそうで落ちない勢を引き込むきっかけにもなったり、公式も全国のオタクを把握することができ、なんらかの商売のきっかけにもなるのかもしれない。

そう考えるとライビュをすることで公式が得られるものは少なからずある。

茶の間の温床だから必要ない、という訳にもいかないだろう。

何度も言うが、ライビュを観ただけで現地に行った人と同じ立場になることはできないし、ライビュを観ただけで「観劇」とは言えない。なによりライビュより現地の方が何倍も魅力的なことを知らないことが非常にもったいないし、その分損をしていると思っている。

 ちなみに、その友人は最後にこう言った。

「ま、一番はハマったばかりの新規の分際でこんなにチケット難民いる中無理矢理にでも現地行こうなんて後ろから刺されそうって恐怖がデカイ」

…………なるほどね!!!!こわいよね!!!

現地にいるであろう過激派を思うと新規たちは怖くて現地に行きにくいらしい。

「うるせぇ!古参がなんだ!ガチ勢がなんだ!新規だって現地に行ってやる!」って人も多いでしょうけど(私はそのタイプ)ゴリラな私とは違って繊細な友人にとって現地は恐怖らしい。

que-9.hatenablog.com

 過度な茶の間叩きは新たなファン層を奪う可能性がある。新規が憎い人もいるだろうが、それは公式、推しにとっては喜ばしいことじゃないんだろうなってことを改めて思った。

 

改めての応援スタンス

ブログを書き始めて3ヶ月半経ちました。正直1週間くらいで飽きると思ってました。

 ということで改めて「応援スタンス」を記そうかと。一番最初に書いたけどなんかブログを書いていくうちに考えが変わってきた気がする。

あと今年の上半期遠征が多くてちょっと考えが変わってきた気がする。

que-9.hatenablog.com

 ということで改めて応援スタンスを書きたいと思います。

▽基本情報

9/地方在住/20代社会人(1人暮らし)

実家暮らし羨ましいけど実家に戻ったら今のような遠征生活できなそう。

安月給しんどいけど安定性抜群なので辞めようとは思わない安月給しんどいけど。

舞台にハマり出したのはかれこれ10年と少し前…ウッそんなに時が経ったかと思ったら具合悪くなってきた。

2次元オタクになったのはいつだろうと振り返ってみたら答えは「物心ついたときから」でした。生まれ持ってのオタクですどうもこんにちは。初恋は土○先生です。

▽推しについて

俳優Aさん(ブログ内では「推しさん」とか「Aさん」と呼んでます)

心惹かれたのは10年くらい前の某テニスの某ミュージカルにて。ウッ……推しさんに出会って(一方的)からそんなに月日が経ったのね…。

声優Bくん(ブログ内では「推しくん」とか「Bくん」と呼んでます)

3年前くらいに存在を知り、某作品のイベントで「推そう」と思った若手声優。

▽推す基準

仕事に対する姿勢とか芝居とか人柄とか…よくわかんないけどそんな感じです(適当)

友人に「9さんの推しは5番手くらいの顔面偏差値だよね」とdisられました。否定できません。多分みなさんが推してる若手俳優と並ぶと超地味な人です。

でも舞台に立ってるAさんは最高に格好いいです最高ですありがとうございます。

Bくんはどう足掻いてもイケメンじゃないしスタイルも悪すぎだけど声優だし見た目がどうとか非常にどうでもいいです。

Bくんはクール系からかわいい系までわりと役柄が広いです。BくんがCVだからそのキャラが推しキャラとかそういう安直な考えはないです。

Aさんの芝居はもう本当に大好きですがBくんの芝居はもっと頑張ってほしいって感じです。応援したくなる感じの人です。

▽遠征する基準

舞台は推しが出ていれば1公演以上は行きます。理想は初日と中日と千秋楽に行きたいけど遠征だし仕事もあるので無理ですが、都合さえ合えば2~4公演くらい行きます。

Bくん関連のイベントよりAさんの舞台優先です。Aさんの舞台や仕事の都合が合って、尚且つ私自身好きな作品のイベントなら行きます(チケットがご用意されれば)

▽グッズを買う基準

舞台ではパンフとブロマイドくらい。

2次元系グッズは調子に乗るとすぐ買ってしまう。最近は買ってないけど(当社比)

▽雑誌を買う基準

Aさん→雑誌に出ません!!!!!!!!!!!以上!!!!!!!!

Bくん→連載持ってる雑誌はたまに。あと特集とかで載る場合、気になる内容なら買うかなあ。あんま買いません。

▽円盤を買う基準

基本全て買います。

アニメ円盤はめっちゃ好きなもののみ購入します。

▽手紙、プレゼントについて

最近Aさんにはよく手紙を書いています。ブログ始めた当初はほぼ書かないとか言ってたくせに…。はてブロ見ていたら私も書こう…って気持ちになってきました。

Bくんには手紙は書いたことありませんが、ラジオ宛のメールは何通か送ったことがあります。

プレゼントはしたことないですがイベントやらツイッター上の写メなどを見てるといい歳して「またその服か」と言いたくなるほど服のバリエーションがないAさん。マネージャーから「一番よく着てるその服禁止」と言われるほど。

そして服のバリエーションは結構あるけどいかんせんダサすぎるBくん。

なんか服というかファッション系のなにかをプレゼントした方いいかな…とか思ってきた。するかはわからないけど。

でもBくんはダサいけどファッションに独特のこだわりがあるっぽいから逆に迷惑かな…ダサいけど…。

▽同担について

AさんBくんともに同担拒否と前は言っていた気がしますが、Aさんについては劇場に行かない限り同担に出会えません。物販でブロマイド買ってたら同担かなと思う程度です。同担がいません。なので拒否もなにも…同担がいません。

Bくんについてはここ最近お花畑の同担が激増しましたが、そういう同担はすぐ降りそうだなと思ってるのでどうでもいいです。拒否とまではいかないけど積極的に関わろうとは思いません。

あれ?同担拒否じゃないかも?

 ちなみに炎上してからBくん推しだよ!と言うと「あんなやつの信者かよ!」とクソ叩かれる世の中になりました。おかげで同担が激減しました。同担のみなさん短い間でしたがお世話になりました。

 

 こんなところでしょうか。

いつもたくさんのスターや読者登録をしてくださるみなさんがいるので激飽き性の私も続けられています。ありがとうございます。

本来は壁打ちのつもりで始めたのに誰かに読んで貰って、同意のスター(と私は勝手に解釈してます)を頂けると非常に嬉しいものです。

今後も(きっと愚痴多めですが)あれこれ綴っていきます。どうぞよろしくお願いします。