最近茶の間叩きが盛んな(気がする)ので、ライビュに対する厳しい意見をよく目にする。
ライビュがあるから茶の間がライビュで満足しちゃって劇場に行かないんだ!
ライビュが茶の間の温床になっている!
そんなライビュなんて無くした方がいい!
見たいなら全員劇場へ行け!
という声。
ま~~~~~言いたいことはわかる、わからんでもない。極論だけど。
ライビュって「映像技術、通信技術を利用した映像配信」なだけなのでどっちかというと「映像作品」と呼ぶのが正しい。と思う。
なのでライビュを見て「観劇した」というのは違うし、ましてやライビュを見ただけで実際に劇場で観劇した人と同じ立場にはなれない。
料金だって劇場のチケットよりも安価であり、地元の映画館で見れるため遠征費もかからない。(特に地方の)オタクの経済的に正直行きやすいのがライビュである。
でも!やっぱり!舞台もライブもそういうものは生で観るのが一番!!!!たしかにライビュも素晴らしい技術だけど、生で観た方が魅力が何倍も何十倍も高まる。それに気付いてほしいなあとは思う。
そしてライビュ利用の茶の間を叩く理由として一番多く目にするのは「公式に金が入らない」という問題。
内訳は実際どうなってるのかは分からないがライビュのチケット自体安価だしそれだけでも公式に入る金額は少ないだろうし、それに加え上映する映画館や仲介業者などの取り分も考えるとライビュによる公式の儲け分は微々たるものかと思う。
全国各地で何十何百もの箇所で行ったとして何万何十万の人が利用すれば微々たる儲けもそこそこの儲けになるのだろうが、ライビュ利用を増やすより1人でも多く劇場に足を運んだ方が手っ取り早い気がする。
そう考えるとやっぱり「ライビュより劇場に行った方がいい」というのはわかる。じゃあやっぱりライビュは無くなった方がいいのだろうか…?
ふと友人との会話を思い出した。
某作品の某公演に行こうとチケット入手を試みるもいくつもの先行で惨敗していた時、全国各地でライビュが決定した。
その作品にハマったばかりの友人は「遠征できるほどの休みも取れなさそうだから生で観たいけど地元のライビュに行く」と言った。
「そっか~私はまだ現地のチケット諦めらんないわ~」と返したら友人はこう言った。
「現地に行けないのは悔しいけど現地のキャパ数以外にも、こんなド田舎でさえこの作品が好きなオタクが沢山いるよって公式に伝えたい。そうすれば公式の視野ももっと広がって色んな可能性を感じるんじゃないかな~。そうであってほしい。」
な、なるほど…そういう考えは…なかった…。
確かに劇場に足を運んでる人たちは色んな場所から遠征をしていたとしても、どのくらいの人が遠征民かなんて運営側は知る由もない。極端に言えば全員都民と捉えられても仕方ない。
そう考えるとライビュは「全国のどこにどのくらいこの作品が観たいオタクがいるのか」ということも把握できるのか…と思った。
ライビュは公式にメリットが無いのか?と疑問に思っていたけど、経済的なメリットこそ少ないのかもしれないが「ちょっと気になるけど現地まで行くほどじゃないかも」という沼に落ちそうで落ちない勢を引き込むきっかけにもなったり、公式も全国のオタクを把握することができ、なんらかの商売のきっかけにもなるのかもしれない。
そう考えるとライビュをすることで公式が得られるものは少なからずある。
茶の間の温床だから必要ない、という訳にもいかないだろう。
何度も言うが、ライビュを観ただけで現地に行った人と同じ立場になることはできないし、ライビュを観ただけで「観劇」とは言えない。なによりライビュより現地の方が何倍も魅力的なことを知らないことが非常にもったいないし、その分損をしていると思っている。
ちなみに、その友人は最後にこう言った。
「ま、一番はハマったばかりの新規の分際でこんなにチケット難民いる中無理矢理にでも現地行こうなんて後ろから刺されそうって恐怖がデカイ」
…………なるほどね!!!!こわいよね!!!
現地にいるであろう過激派を思うと新規たちは怖くて現地に行きにくいらしい。
「うるせぇ!古参がなんだ!ガチ勢がなんだ!新規だって現地に行ってやる!」って人も多いでしょうけど(私はそのタイプ)ゴリラな私とは違って繊細な友人にとって現地は恐怖らしい。
過度な茶の間叩きは新たなファン層を奪う可能性がある。新規が憎い人もいるだろうが、それは公式、推しにとっては喜ばしいことじゃないんだろうなってことを改めて思った。