おたくのひとりごと

自由気ままにぼやいています

全肯定は愛なのか

 

que-9.hatenablog.com

 以前、この記事を書いたきっかけはまわりに「推しの名前を見れば条件反射のように推しの演じるキャラを推しキャラと主張するタイプのオタク」が結構いたので、好きじゃねぇな~と思い書かせて頂いた。

そこでふと、「いやああいうタイプの他にもキャラをちゃんと理解した上で推しが演じていれば推しの演技が好きだからすべて推しキャラという人も結構いるな」と思い、ちょっと考えてみた。

まあ、結論を言うと「考え方・感じ方・推し方等々の違い」なだけなんだけど。

 

そもそも、推しのすべてを肯定することは、愛なんでしょうか。

例えば、推しが今までやったことのない役をやったけど、あまりの不慣れさが全面に出てしまっても「さすが推しくん演じ分け上手い!」

推しがどんな髪型にしても「かっこいい!」

推しが台詞をミスっても「そういうとこもかわいい!」

推しが失言してあとから謝罪しても「全然失言じゃないよ!推しくんが言いたいこと自由に言えばいいよ!それなのに謝罪する推しくんはなんて良い人なの!」

 

だいぶ極端に書いたけど、これらってすべて「愛」なんでしょうか。

いやまあ本人たちにとっては愛なんでしょうけど。

よく「友人なら間違ったことを正してくれるのが本当の友人」とか「間違いを見て見ぬふりをしたり擁護するのは本当の友達じゃない」とか小学校のころから教わってきたと思う。少なくとも私は。

なんとなく、それと同じような考え方なんじゃないだろうか。友人と推しじゃ全く違う存在だけど、「大切な存在」みたいな、そういうニュアンスで。

不注意故に台詞をミスるとか出とちるとか、仕事上の失敗はいくら推しでも擁護しちゃいけないと思う。

特殊な職業の推しくんたちと、我々一般人を比較しちゃいけないのかもしれんが、我々だって仕事でミスったら「ミスっちゃうとこもかわいいな!ミスるとこも素敵だよ!」「全然気にしてないから気にしなくていいよ!」って言われる?いや言われたいけどね?でも普通に怒られるでしょう。それと同じだと思うんだよなあ。

でも舞台はそういう役者のミスも醍醐味のひとつみたいなところはたしかにある。私もめったに噛まない推しさんが台詞を噛んだら「うっわ~~~~~噛んでやんの~~~~~~~!m9(^Д^)」と思うし。でも流石に噛んではいけないシーンで噛んだらそんな穏やかではいられない。それなのに「噛んだこと気にしないでください!私は気になりませんでした(^_^)」とかリプ飛ばしてるのを見ると「お前が気にならなくても~~~~~~~私は気になったんじゃボケ~~~~~~」とキレ倒す。

そして失言とか不適切な言動とか、そういう役者も増えてきたけど、それはやっぱ社会経験もないまま若いうちから芸能活動していると一般常識もわからないのかなと残念に思う。だからせめてこれを機に学んでくれ。と思うのだが、それを「推しくんはそのままでいて!」なんて擁護してしまうと、推しくんの学ぶ機会がなくなってしまう。

それは推しくんにとってプラスかマイナスか、考えればわかることだと思うのだが。

そして、どんな推しもかっこいいとかどんな演技も上手いとか、そういうのは個人の主観が入るのであまり口出ししにくいのだが、個人的には「本当にすべてそう思うの?」と疑問に感じてしまう。

推しだって人間だし、すべて常に完璧なわけじゃないと思う。

とは言っても、私自身がそもそも推しくん・推しさんの「顔」が好きで推しているわけじゃないから尚更そう思うのかもしれない。

下手くそな自撮りがあげられると「なにこの疲れきった顔は!」とか思うし「なにその変な前髪!」とか思うし正直推しの自撮りで「かっこいい」と思ったことが非常に少ないので逆になんでもかっこいいと思えるような人を推している人が羨ましかったりする(小声)

演技だって正直言うと「上手い」と感じるのは大体「好き」と同義なんだと思っている。本当に「上手い」「下手」を言えるのは芝居を長年学んでいる人だけだと思う。

私も大学の時に少々演劇について学んだが、ここの捉え方で物凄く悩んだ。「ただの一般人が『上手い』『下手』なんてわかるはずがないのに言ってもいいものなのか」と。

いくつも観劇したりアニメを見たりしている目と耳の肥えたオタクは「技術が足りてない」ことに気付けることも多々あるが、それと上手い下手はまた別になる気がする。

だからオタクが「あの人の演技が上手い」と感じることは「あの人の演技が好きだ」と大体イコールで繋がると思っている。

だから「推しが好き」なのだから「推しの演技も好き」なのは当たり前だと思う。でも作品を見ていると「大好きな推しの演技」の中にも「嫌い」な部分ってほんの少しだけどあったりするものなんじゃないだろうか。

ちょっとキャラがぶれてる、とか、ちょっと調子乗りすぎてアドリブ入れすぎとか、そもそもキャラの解釈違いとか(これは脚本演出家も関わってくるけど)

推しだって人間だし、完璧な演技ができるわけじゃない。そういうことがあってもおかしくない。でもすべての演技が素晴らしい!私の好きな演技しかしない推しが好き!というのならもうその推しさんすごいっす。ちょっと私にもその推しさんのこと教えて?と思う。

そして、推しが好きで推しを見に観劇しているのだから推しを見るのは当たり前だが、その作品は推しソロステージじゃないのにな、と思うこともある。

そりゃ推しだから、「推しが一番輝いてる!」と思うのは当たり前だし私も毎回観劇後にそう言ってるけど。

でもやっぱり舞台って沢山の人でつくりあげる作品だから、その作品に推しだけがいるわけじゃなくてもっと色んな人がいるのに、それに見向きもしない人を見ると「この人観劇しているんじゃなくてただ推しを観察してるだけじゃん」と思う。

人の推し方や考えは様々だから、それはそれで良いと思うけど「趣味は観劇」とは言えないんじゃないかと思う。

余談ですが、前に私の推しさんがW主演でミュージカルをやったのですがどこのレポや感想ツイート見ても私の推しさんの名前は一切取り上げられておりませんでした。私も観劇後「いやもう一人の座長にすべて持っていかれたわ。私の中では推しさん最高だったけどありゃ持っていかれたわ」と思っていたのでやっぱりね!という感じでしたが一応主演なのにそんなに印象に残らなかったのだろうかと思ったら非常に悲しかった。見方はそれぞれ、感じ方もそれぞれだから「私の中では推しさんが一番」と思っても周りはそうでないことが多い。それに気付くことはショックで悲しくて悔しくもあるけど、「作品」として見ると納得せざるを得ない。それに気付いてようやく「観劇した」と言えるのかもな、と思っていた。

 

なんか話が逸れた。

とにかく、全てを肯定することは本当に「愛」や「応援」になっているのだろうかという話。

 

推しにダメ出しをしろとは言うつもりはない。ただのオタクが出過ぎた真似をするのはただ痛いだけだし迷惑にもなるから。

だけど擁護のしすぎも、推しにとって必ずしもプラスになるとは思えない。

そして、推しが好きなら「作品の中にいる推し」をちゃんと見ることも時には必要なのかもしれない。舞台に出ている推しが、演技をしている推しが好きなのであればなおさら。

以上、完全に個人的な意見でした。