推しさんのイベントが当たり、急遽遠征に行くことになったひゃっほーーーーーーーい
舞台以外の推しさんなんていつぶりだろう…なんか…緊張するな…緊張する意味がわかんないけど…
ということで、推しさんに手紙を書いていた。
私は手紙を書く時PCでダダダダッと文章を打ってから、申し訳程度の推敲をし清書をする。
さあ清書をしようと思った時、ふと某俳優のブログを思い出した。
「手紙は嬉しいけど、時にプレッシャーとなって苦しくなる」
その人は「あまりにも多くの手紙を読むと、その多さにびびってプレッシャーになっちゃう」という意味で言ったのだと思う。何も1人1人の手紙の内容がプレッシャーでしんどいと言いたいわけじゃないのはわかっているし、私の推しさんはその人に比べたら手紙の枚数も少ないことはわかっている(失礼)
別に気にしなくてもいいのだろうけど、気になってしまった。
数の多さがプレッシャーと感じるのもわかるけど、個人的には「でも実はその内容にもプレッシャーを感じることもあるんじゃないの…?」と思ってしまう。
誰目線だよみたいなダメ出しとか。逆に褒めすぎとか。
手紙でダメ出しをする度胸はないので書いたことはないが、よくあるのは「褒めすぎ」だと思う。
でもそもそも、結局手紙では「好意」を伝えるのが普通だと思う。ファンレターなんだし。だけど、「好意」を詰め込みすぎるとそれって読み手はどう思うんだろう…と不安になった。
私も実際、人前で演奏する経験があった。その時、アンケートや手紙で「ここがよかった」「ここが素敵だった」とめちゃくちゃ褒められたこともあればボコボコにダメ出しされたこともあった。
メンタルがヘボいのでダメ出しはへこんだけど納得できるしやっぱりなって思うし「これから頑張ろう…」とヘボいなりに今後のやる気に繋がった。
しかし褒められたことはすべて嬉しかったかというと、正直そうじゃなかった。自分の演奏に自信があって褒められたなら胸を撫で下ろすけど、自分じゃ納得いかなかったことが褒められたら「私は駄目だと思ったあれでいいの…?今までの練習は間違ってたのか…?」と今までの自分を否定されたように感じてぶっちゃけダメ出しされるよりへこむ。
あと自分の限界ギリギリの演奏を「よかったから今後はこういうのをやって!期待してる!」とか言われてしまうとそりゃもうプレッシャーだしどうすりゃいいんだよ…とも思う。
自分と推しさんは違うし、何より私がメンタルが雑魚なので比べられないと思うけど、でも推しさんもすべての褒め言葉は本当に嬉しいと思えているのだろうか…?と不安に思った。
私の手紙なんて要約すれば「ここもあそこも、それからここもかっこよかったです!全部かっこよかったです!」になるような気がするけど、どこもかしこもすべて褒められて本当に嬉しいんだろうか。
そしていつだかバラエティで「貰って嬉しい手紙の書き方」みたいなことをチラッと見た。
「定型文みたいなのは書くことなかったと感じる」とか「だらだら長い手紙はキモイ」とか。
なんか自分の文章は大丈夫なのか心配になってきた。
そりゃめちゃくちゃ文才があるわけじゃないし、乏しい語彙力をフル活用して書いているので表現が足りないところとかも色々あると思う。私が思っていることを100%推しさんに伝えられてはいないと思う。そして私の手紙で推しさんを喜ばせたいとかそういうおこがましい気持ちは全くない。
ただささやかながらこういうファンがこういう気持ちで舞台を見たよっていうことを報告したいだけなんだと思う。多分(曖昧)
そのただの報告でせめて、悲しい気持ちにさせたりとか落ち込ませたりとかはさせたくない。
最近になって手紙をよく書くようになったけど、何のために手紙書くのか、少し考えてしまった。
手紙は読み手がいるし、その読み手が推しなわけだし(本当に手紙が読まれているかどうかは置いといて)ただ自己満足な文章を押し付けるのは違うのではないかと思う。
うまく言えないけど、もっとこう、やっぱり丁寧に書くべきなんだろうなと思った。
推しに読んで貰うものを走り書きなんかでは書けない。
適切な表現で伝えたいからしっかりと推敲して言葉もしっかり選びたい。
手紙ってそういうものなんじゃないのかなぁ。
って思ったのでもう一度推敲します。というだけの話でした。