以前にも同じようなタイトルで書かせて頂いた。
que-9.hatenablog.com
とりあえず、思っていることはこの時と変わらない。
2.5はメディアミックスの一種だし、というかそもそも舞台って最初は「聖書」をより普及するために出来たという説も聞いたことがある。たしか(曖昧)
つまりもともとは書物(文章)だったものをわかりやすく具現化するために出来た。しかし2.5となるとまた微妙に変わってくる。
書物ではなく既に「キャラクター」が(次元は違えど)存在していて「声」もついているし、2次元だからこそのファンタジーもあるだろう。
それを生身の人間が演じる、再現するというのは現実的に考えれば難しい。無理だと思うから「これを舞台化します!」と発表すれば話題になる。
.5が飽和状態な今は特に、「ただ舞台化」するだけじゃ「普通」になってきた。だからこそ「実現不可能そうな作品」を取り上げることも増えてきた。
それもそれでどうなんだろうって思うけど、話題になればなるほど人の目に留まるし、人の目に留まれば動員も少なからず増える。話題にならないものよりは。
もう何でも舞台化しちゃう風潮は私達オタクがそういうのに飽きて、偉い人たちも飽きれば終わる。多分それまでは続くんだろうなと思っている。
見たけりゃ見るし、興味ないならそれまで。それがいい作品かどうかは置いといて。
金を出すのに値するかどうか、そして金を出すかは自分で決めることなのでそのへんはもうどうでもいいです。
原作厨と俳優厨がドンパチする大きな理由ってそれぞれあると思う。
まず、原作厨側が言う「原作を知らないくせに」問題。
要するに、原作読んでも(見ても)いないくせに!俳優しか興味ないくせに!みたいなバトル。
俳優厨でも「原作モノは予習すべき?」という疑問もたまに見かける。
個人的には「好きにしたらいいんじゃない?」と思います。
だって上記でも述べましたが、結局舞台、特に2.5は「メディアミックス」なんですから。
原作とは違うフィールドのオタクにその作品を広めてオタクを増やそうっていうのが元々の目的のはず。そうじゃないにしても、舞台をきっかけに原作ファンが増えたら原作サイドは嬉しいでしょう。
もちろんここで「にわかムカつく」というにわかアンチ派の話は置いておきます。
まあその時点でにわかでも、その舞台を観終わった後に原作を勉強すれば問題ないと思います。私は。
むしろ、中途半端に原作を予習して「あそこは原作と違う」と知ったかする方が面倒だなと思う。
そりゃ「実現不可能そうな作品」が「舞台化」するんだから、どこかは「確実に再現は無理」という部分はあるでしょう。そういう間違い探しのような目線で観劇するのは観る方も観られる方も幸せにならないと思う。
私も2.5が増えてきた数年前はそんな感覚で「ここもここも原作とは違う、原作ではこんなんじゃなかった」と記憶の中の原作と観比べていたことがあった。正直言ってつまんなかった。つまんないのにお金を出してるなんて…と考えて更に不快感が募った。
そういう考えに疲れて最初から「原作とは別物」と考えて観るようになってから舞台そのものを楽しめるようになってきた。もちろんそれでもクソだと思うものも全くないってわけじゃないけど。
何が言いたいかと言うと、「原作知らないけど好きな俳優出てるから観る」でもいいじゃん。それで原作が気になったら原作にも手を出せば。
もちろん俳優目当てで観劇してから原作を知らないのに原作にケチつけるみたいな性根腐ったことする奴はムカつくけど。
原作知ってたらもっと舞台を楽しめることもあるけど、逆に原作を知ってたから楽しめなかったということもある。
人とモノによる、結局。
だからどっちが正しいって訳じゃないと思います。
次に、俳優厨の言う「原作厨は観劇マナーを守れ」問題。
原作厨は総じて観劇マナーを守らないというバトルを見かける。
正直本当にマナー悪いのが全て原作ファンだけなのか?とは思うが、現にマナーが悪いやつがいるのは事実。
私も何度観劇中に腹を立てたことか。
そもそも、原作ファンだろうが俳優ファンだろうが、マナー悪い奴って注意されると「知らなかった」で済ませようとする(個人的意見)
それで許されると思っているのか?と思うわけだ。
あんた1人がマナーを守らなかったおかげで同じ代金払ってるその他大勢が不愉快な思いをする。推しの台詞を聴き逃したかもしれない、推しの決め顔を見逃したかもしれない。
その一瞬って一生二度と戻ってこないんだよ。再現できない、絶対に。
ドラマじゃないから再放送もできないし映画じゃないからDVDにもできない。
円盤化したとしても何時間何十回の公演中その一瞬がカメラに抜かれる確率って死ぬほど低いよ。
仮に抜かれてたとしても生で見るとの画面越しに見るのは全くの別物ですし。
その一瞬のために働いた金でチケット買って、地方から高い交通費を出して来てるかもしれない相手の、その一瞬を奪ったら、どう詫てくれるの?って思う。
詫びれないでしょ、弁償もできないし、再現もできないんだから。
ちょっと大げさだけど少しでもそういう不愉快な思いをしないために「マナー」と「ルール」ってあると思います。大勢の人が同じものを同じ空間で観るからこそ。
それを「知らなかった」で済むわけがないでしょう。
そりゃいくつもの舞台を観てきた歴戦の舞台オタクたちにとっては暗黙の了解、当たり前のルールでも、新参者には何もわからない未知の世界だと思う。
でも普通~~~~~に考えて、歴戦のオタクだって、新参者だった時期が必ずある。
歴戦のオタクだって観劇マナーもルールもわからないときがあったよ、そりゃ。最初から知ってたわけじゃない。
大勢の歴戦のオタクも何も知らないまま観劇してたわけじゃない。
初観劇の前にちゃんと学んだんだよ。なんだってそうでしょ。
観劇なんて世間からすればただの娯楽でしかないと思うけどオタクにとっちゃ戦場なんだよ。
チケットとるところから戦は始まってんだよ。チケットの効率のいい取り方を学び、交通費はいかに節約できるかを学び、劇場ではこうすべきという戦術を自ら学んできたんだよ。
私が舞台にハマりだした時はネットで観劇マナーを検索してもあんまりヒットしなくて宝塚のマナーみたいなのを参考にしたりDVDで客席が映ったら普通どんな服装で行くのか?とかそういうとこまでチェックしたり最終的には知ってそうな人に聞いた。
今の時代は検索すりゃ山のように出るでしょう。そんな山のような財宝を探しもしないで「知らなかった」はないだろ~~~~~~~~~~!
少々熱くなってしまいましたが、要するに「どんな理由、どんな目的であれ観劇するなら行く前にマナー等を調べてから行くのが常識」だと思います。
あとは解釈違いでドンパチしているのも見かけるけど、これは原作厨VS俳優厨ってより、原作厨と脚本、演出、キャストとのドンパチって感じがします。
冷静に考えて、何百、何千の観客がいたら(観客全員が原作ファンと仮定して)その人数分の解釈が存在するだろう。そしてそこに脚本家や演出、キャストだってそれぞれに「自分なりの解釈」を持っているはず。演者側はそれをあーでもないこーでもない、と練りあって「個々の解釈」から「カンパニーでたどり着いた解釈」を導き出し、それを大勢の観客に提供しているのだと思う。そう思いたい。私物化とかそういうのは一切ないって思いたい。そうであってほしい(願望)
それが何千通りの解釈すべてに一致するかと言ったら、絶対にそれは無理だと思う。全く同じだと感じる人はごく僅かだと思う。だからこそ「原作」と「舞台」は「別物」だと思ってる。たとえ原作者が脚本を書いて、演出をつけたとしても、キャラが2次元じゃなく3次元の全く別人が演じるのだから、完全なコピーにはなれるはずがない。そこは割り切らないといけないと思う。
割り切ったとしてもどうしても受け容れられないというのならそれまでの話。だと思うんですけどね、まあ難しいですよね。
長いこと二次元オタクも舞台オタクもやってきた身としては、どちら側の意見もわかるときもあればそれは違うだろと思うときもある。
別にお互い仲良くすべきとは思わないけどそこまでいがみ合う必要もないのではと思う。
私は俳優には詳しくない原作ファンから推しさんの芝居を褒められると死ぬほど嬉しいし、原作を知らない俳優ファンから原作が気になると言われたら喜んでダイマする。
その感じ方は人それぞれだと思うけど推しさんの現場に、なるべく負の感情を持ち込みたくないし、やっぱハッピーにオタクしたい。それだけです。
とりあえず観劇中の携帯は電源切ろうな!光や音を出すのは駄目だぞ!バイブも駄目だ!某ミュで推しさんのソロ中ずっとバイブ鳴ってたのまだ許してねぇからな!(私怨)