おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

俳優オタクにとっての2.5舞台

oow99.hatenablog.com

全文スター付けた過ぎてびっくらこいた。

私もこの話題について書いてみたいと思います。
私の推しさんも若くはないものの2.5にはわりと出ている方だと思います。
2.5と呼んでいいのか微妙な原作ありのものも含むとほぼ該当します。

学生時代、ちょろっと演劇について学んでいた私は他のオタクよりも知識があると調子に乗って「私は演劇のこと知ってるのよ」的なクソ害悪でした。
あの頃は「2.5なんて所詮原作の力を借りないと客を呼べないコンテンツじゃん。オリジナルこそ至高。」と思っていました。自分はテニミュ1stで演劇にハマったくせにこの言い草である。あの頃の自分をコブラツイストしてキン肉バスターしたあと炎殺黒龍波で抹消してほしい。
今は全くそんなこと思いません。推しさんの2.5作品や他の2.5作品を見て、2.5には2.5の良さがあると理解して楽しめるようになりました。
2.5が苦手だった過去があるので2.5が嫌な人の気持ちもちょっとわかります。ここで独断と偏見の「2.5のここが嫌(と思われてそう)ベスト5」に対する現在の私の考えをまとめさせて頂きます。

 

①コスプレ感がすごい

制作会社やスタイリストや大人の事情によるけど「なんだそのウィッグは!なんだそのメイク!」的なものがありますよね。
でもそこはやはり大人の事情なので仕方ないことも多い。そこは諦めざるを得ないと思います。
しかし実写化映画やドラマも多い昨今。それらと2.5作品を比べると個人的には舞台の2.5作品の方が何倍もマシだと思います。もちろん作品とか諸々にもよるし実写化映像作品がすべてクソと言っているわけではありません。好きな作品もあるよ!
映像作品というものはどうしても「リアリティ」が重視されてしまう。周りの背景や人々等は普通の3次元の人間や風景なのに、そこに2次元キャラの格好をした奇抜な人が放り込まれるとどうしても浮いてしまう。実写化映像作品というのはどうしても私たちの生きている3次元に寄せないと成立しないことが多い。その不自然さをCGやら現代の技術を駆使して埋めようとすると元々の作品にそんな要素が無くてもSF感が出てしまう。それって結局「原作とはちょっと違う」になってしまうことが多いと私は思います。だから非現実的なキャラが出てこない少女漫画がよく実写化されるのはそういうことかなと。
一方、舞台というのは舞台そのものが「非現実的」なものだと思います。特にミュージカルなんて「急に歌い出す人なんか日常にいるわけない」とかよく言いますけど、ストレートだって「あんな大げさな身振りで大きな声で会話しない」とかになると思います。色々と誇張されているのが舞台演劇であって非現実的な要素が多いです。そこに派手なウィッグにメイク盛り盛りの人物が現れてもわりとすんなり受け入れてしまう。だからこそ2.5作品って成立するんだと思います。舞台って2.5じゃなくても舞台化粧はするし、それが2次元キャラを真似たものになるだけだし。「非現実的」な舞台だからこそ「非現実的」なアニメやゲーム等を取り入れるにはいいコンテンツなんだと思います。
個人的には顔の薄い男性が盛り盛りにメイクしたのを見るのが好きだからありがとう!って思いますね!

 

②解釈違いがすごい

2.5が苦手な人はその原作が大好きだけど舞台化のものは解釈違いだから好きではないという人が多いと思います。
解釈違いは舞台化に限らず他のオタクとも解釈が違うと仲良く出来ないとか、二次創作でもこの人の解釈は私と違うから地雷とかオタクにとって日常茶飯事なのでなんかもうしょうがないような気がします。色んな人間がいれば色んな解釈がある。
結局舞台もその制作、脚本家、演出家、それぞれのキャストの解釈がひとつになったものだと思います。私もわりと解釈厨ではありますが原作ものの舞台については自分の解釈と違っていても「この人たちはこういう解釈なんだ~へ~」で終了します。あくまでも「原作」と「舞台」は別物だと思ってます。そりゃ脚本も演出も全く別な人がやるわけだし何より2次元キャラが3次元になってる時点で別物です。
作品への思い入れは人それぞれ計り知れないものがあると思うのであれこれ言うつもりはないですが、少なくとも「一切舞台を見てないのに最初から解釈違いと決めつけて叩く」のは違うと思います。一度見て解釈違いだと判断したならそれはそれでいいと思いますが。

 

③ファンサ・接触文化が客質を落としている

正直言って、私もファンサが嫌でした。ファンサて。アイドルのライブじゃないんだから。あくまでも演劇なのに。って思ってました。
しかしよーーーーく考えて考えを改めました。
2.5でファンサが出始めて来たのって花道に役者が降りてくる(または客席から出る)ことから始まったと思います。演劇において花道ってわりと大事な要素だと感じています。作品にもよりますが舞台の醍醐味って役者(ステージ上)と観客(客席)との一体感だと思います。ステージ上と客席で綺麗に線引きされてしまうとちょっと語弊があるしめちゃくちゃ極論だけど映画を見る感覚とほぼ同じような気がします。あえて線引きさせる作品ももちろんありますが。役者が花道を通ることでステージ上の作品の世界観を客席にも満たしてより一層「非現実感」を増幅させる作用があるんじゃないかなあと。だから役者が花道を通ることはファンサのためだけではない、舞台には欠かせない演出のひとつだと思ってます。
とか言って花道はもともと江戸時代の歌舞伎でやり始めたんですが*1最初は客席と舞台上の同一化のために始めたところ、いつしか当時の人気役者が観客のより近くに行って喜ばせるために使用して大繁盛したらしいです。*2
つまりは江戸時代から花道はファンサに使われているわけです。だから「最近の2.5は花道でファンサするから嫌!」という叩き文句は残念ながら的外れかと。残念ながらそれは日本の伝統芸能です。

そして2.5にありがちな作品の名前での接触イベント。これにより接触乞食が群がり、演劇ファンの客質を落としているのではないか問題。
気持ちはわからなくもない。でもまあ作品の接触イベントというと大抵「チケット購入者対象」か「円盤購入者対象」だと思います。つまり作品になにかしらお金を出した人のみ参加できるイベントなわけです。
よく接触イベントにだけ来て公演には来ないという「お前が推してるのは俳優じゃねぇのかよ」的なよくわからん人もいますが、接触だけに来て公演チケット捨てるような人ってそんなにいるんでしょうか。もし実在するならそういう人は「ファン」に値しない存在だと思うのでその人にイライラする気力も無駄だと思います。
どんだけムカつく同担だろうと作品を見て接触に来たのならそれに文句を言う権利はないのではないかなと思います。
あと接触イベント設けないといけないくらい運営が必死ということです(悲しみ)。それは自分1人の力じゃどうにもできないので接触イベントで餌を蒔いて接触乞食だろうがなんだろうがチケットや円盤を捌けさせる他方法はないと思います。
あと、そうやってチケットや円盤を捌けさせるために接触イベントするのは2.5作品に限ったことじゃないです。オリジナルでも全然やります(さわやかな笑顔)

 

④声真似が無理

これはわりと今でも思っていますが、それが2.5の難しさなんじゃないかなと思います。
キャラに声は既についていて、そのイメージが先行しているものがほとんど。全く違う声を出したらキャラの要素が薄れてしまう。まあ、わかる。でも声真似をせずとも自分らしさを出しつつキャラの要素を表現している役者さんは沢山います。
「無理して声を出してる」感が苦手なのは私もそうなのですが、言ってしまえば原作アニメの声優だって無理して声を作って演じてる人がゼロなわけじゃないですし、その役者の特性だったり課題だったりするんじゃないのかなあと思って見てます。

 

⑤オリジナル作品の方がいい

私もこれ思ってました。けど、オリジナルだからって何が良くなるんだろう?と疑問に思うようになりました。ななめさんの記事にもありましたが、なんとなくオリジナルの方が2.5より上みたいな考えをお持ちの方も少なくはないと思います。多分それって私も冒頭で述べたように「オリジナルは0からの勝負だが、2.5は所詮原作の力を借りている」みたいなことからそう思うのかもしれません。でも、結局それは「作品の良し悪し」には全く関係のないことなんですよね。
オリジナルだって運営がクソならクソだし、2.5でもスタッフキャストすべてが愛情を持って素晴らしい作品にしてくれることもある。
舞台は博打だと思ってます。実際見に行くまで良いかどうか、好みかどうかわからない。1万円前後の金を払って最悪な気分で帰ることになる可能性もゼロではありません。そう考えると前情報が0のオリジナルより少しでも作品のあらすじや情報がある2.5(漫画・小説原作も含む)の方が行きやすいのは当たり前のことです。特に演劇ファン以外の人には。
そして特に最近のオリジナル作品は2.5に埋もれないように必死にあの手この手を使って話題を作ろうとしている感があります。そしてそれが空回ってる感があることが多いです。肝心な作品の内容よりも話題性ばかり重視してしまうような…。それじゃ結局オリジナルだって本末転倒です。だからオリジナルだからどうとか2.5だからどうとかは関係ないと思っています。
オリジナルは0から作り出すからオリジナルの方が労力を使う、と思ってる方々がいるのならちょっと違うと思います。そりゃ前情報がなくて期待値どころか知名度を上げることすら難しいのがオリジナルのつらさだと思います。でも現に私の推しさんも、その周りの役者も「オリジナルの方が自由に芝居ができる」とのびのびしている気がします。まあ私はそういうのびのびした推しさん見るのが好きなんですけどね(突然の告白)
反対に2.5だと既に作品が知られていて、キャラにも人気が付いている状態なので様々な制限やプレッシャーがあります。その状況下で演じるのもなかなかの労力だと思います。
ななめさんの記事で引用された役者さんのTwitterでも、他の役者さんもトークイベント等でよく言っていますが役者にとっては「オリジナルだろうが原作ものだろうが2.5だろうが、役を与えられて役を理解して演じることに何も変わりない」ということらしいです。役者側からそう言われてしまったら、もうそれ以上でもそれ以下でもないでしょう。
また、2.5はオリジナルと違って演劇ファンや俳優ファン以外にも原作ファンも注目するため、純粋に注目度が上がります。それって新人俳優や若手俳優からしたら大きなチャンスになると思います。そして先にも述べたようにオリジナルよりも演劇ファン以外の動員を獲得しやすいのが2.5です。オリジナルのみで勝負するより今は2.5で知名度を上げるのも役者にとっては必要なことかもしれません。

 

2.5は昔は数が少なくて異質なものではありましたが、今やもう立派な演劇ジャンルの1つだと思います。それによってよく「人気2.5俳優」と呼ばれたりすることも増えましたが、それって1ジャンル内の俳優でしかないという意味にも捉えられると思うとちょっと微妙だなと思います。俳優本人がそれでいいならいいと思いますけど。

「推しは2.5ばっかだからオリジナルに出てる推しも見てみたい!」という気持ちはわかりますが、「推しには2.5に出ないでほしい!」というのはどうなんでしょう。
推しが俳優であって、2.5が演劇ジャンルの1つである以上、ファンが2.5への出演を望まないのはちょっとどうなんだろうと思います。

客質の低下は2.5のせいと言われがちですが、客質云々で騒がれるのは舞台が「ファンが推しを見るため会場に足を運ぶ」のが前提であるからだと思います。実際にファンが1箇所に集まる訳ですからこれで現場に来ないやつは茶の間だとかそういう論争が始まります。そして舞台特有のファンサ等があるため乞食がどうこうとかマナーがどうこうとか。
こんな論争に巻き込まれるなら推しが舞台でなく映像方面の俳優の方がよかったのか?と考えると私はそう思わないです。結局私はそういういざこざがあっても舞台が好きだし、遠征して見に行くことが好きだからです。あと推しさんは写真映りや映像映りが比較的良い方だと思うけど実物の方が1億倍かっこいいし。
それに、2.5のせいでマナーが悪いという声もたまに聞こえますが、オリジナルの小劇団だってマナーの悪い観客はいます。2.5が普及していない時代からいました。きっと2.5がなくてもマナーが悪い奴が多い!という学級会は開かれていたんじゃないかなと思います。
そしてぶっちゃけ今現在推しさん含め、舞台俳優がここまで知名度が上がり仕事もコンスタントに出来ているのは少なからず2.5が普及したおかげではないのかなと思っています。だって2.5のあの作品やこの作品がなかったら推しさんはこんなに仕事なかったし、こんなに信頼される役者になっていなかったと思います。
そう思うと、やっぱり私は2.5に感謝したい。サンキュー2.5!今の推しさんと私がいるのは2.5のおかげだよ!!!

オリジナルだって2.5だって、良い作品は本当に良いし、クソなものはクソ。本当に両極端で博打みたいな趣味だと思います。2.5だってオリジナルだって実際に観るまで良いかどうかわからない。もしかしたらとんでもないクソ作品かもしれない。シリーズ物の続編だって急にスタッフやキャストが変わってびっくりするほどクソになるかもしれない。極端に言えば「この作品なら安心」みたいなものはないと思います。

ただ、推しさんはどんな作品でも真剣に向き合ってストイックに役作りをして観客を楽しませるお芝居をしようと努力してくれる。それだけはオタクとして胸を張って言えます。私はそんな推しさんの芝居が大好きなので作品自体が2.5だろうが運営がクソだろうがどうでもいいです。

そしてもっと言うと、推しさんが「楽しい」と思えるような作品であるならば、ジャンルなんてどうだっていいです。

 

なんだか長くなってしまった。

ここまでお読み下さりありがとうございました。

何かありましたら気軽にどうぞ。

odaibako.net

*1:学生時代に読んだ本に書いてあったけどうろ覚えなので全て鵜呑みにしないでください

*2:学生時代に読んだ本に以下略