おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

「推すということ」について考えたのと御礼

職場でチョコが配られまくって今日はバレンタインということを知りましたこんばんは9です。
 
先日、数ヶ月前に降りた元推しのライブを見た。チケット取れなくてライビュだったが。
降りた時、推しにも、推しに幻想を抱いて理想を押しつけていた自分にも幻滅してとてもショックだった。
ショックのあまりに即座に「もう無理」と思ったから降りた。
降りたことに後悔も未練もなかった。
その後、どんどん活躍の場を広げていく元推しくんの様子をちらほら聞いたが、どっちかというと「嫌悪感」が募っていった。
なんとなく「どうせこのまま調子乗っていくんだろうな」みたいなそんな気持ちで元推しくんを見るようになってしまった。
こうやってアンチは出来ていくのかな…と思い、あんなに好きだった推しくんのお芝居も気持ちよく見ることはできなくなって元推しくんが出演していた大好きだった某作品も冷めてしまった。
しかしそんな元推しくんが出演していても嫌いになれなかった某作品のライブ。
開演前に友人にぼそっと言った。
「降りてから元推しを見るの、今日が初めてなんだよね」
友人は「複雑な気持ちになるよね」と察してくれた。「でもどうせ元推しがあんたの推しキャラの中の人じゃないんだしお得意の脳内削除機能を使えば?」と言われた。
お前、私をなんだと思っている。なんだお得意の脳内削除機能って。新種の家電みたいに言うな…。
そしてライブが終わったあと、まあ色々とライブ自体に情緒ジェットコースターなところはあったが、元推しのパフォーマンスが非常に素晴らしいと思った。
純粋に「やっぱりこの人のこういうところが好き!」と思った。
ライブの余韻を引きずりながら、降りてから聞いていなかった元推しのラジオやネット番組等を聞いたり見ている自分がいた。
見れば見るほど「やっぱりこういうとこも、そういうとこも好き」と思った。
私が推していた頃は本当に出演作品も少なく、雑誌等にもちょろっと写っただけでも大喜びして買っては一人で祭りを開催したのに今やもうあちこちで名前を見る。
なんか、すごい感慨深くなった。
あんなに幻滅しても、それでも元推しくんは着実に前に進んでいたんだなあと思うと、嫌悪感を抱きかけていた私自身が恥ずかしかった。
やっぱり、ただ私が理想を押しつけていただけで何も元推しくんは悪くないし、お仕事が増えに増えた現状を見るとむしろ正しかったんだろうと思う。
申し訳なくなったし、何より、「頑張ってほしい。応援したい。やっぱり好き。」と思った。
思ったのだが、「でも推すつもりはない」とも思った。
元推しくんの芝居も人柄も頑張る姿勢も好きだから応援したい。もっともっと上に登ってほしい。
推さないけど…。
推してる人からしたら死ぬほど失礼な話だと思う。そこはわかってる。本当に気分を害されたら申し訳ありません。
でも、このご時世、舞台俳優も声優も溢れかえっていて、素敵な役者さんは沢山いる。
推し以外にも「素敵だな」と思う芝居をする人は沢山いる。
素敵だと思うし、好きだとも思う。けど、「推し」ではない。
推しではないけど好きだから、その人にもっと活躍してほしいとも思うし、頑張ってほしいし応援もしたい。
でも、「推すわけではない」。
そう思ったら、改めて「推す」ってどういうことだろう。と思った
やっぱり一番わかりやすいのは「使う金の金額」だと思う。
「推し」なら自然と周りよりも優先的になり使う金額も大きくなる。それによって「推している」と言えるのかもしれない。
あと舞台俳優ならば「現場数」も指標になるのかもしれない。そりゃ他の誰より推しの舞台を一番沢山見たいと思うだろうし。
でもまあ地方とか仕事とか色々な事情もあるので推しの舞台でも沢山行けるわけではないのでそこは安易に指標にはできないかもしれない。
そして声優の場合、私は「イベントに行くことだけ」が「正しい声優の推し方」だとは思わない。
いやもちろん推しのイベントならもちろん行きたいし行くけど、声優は「声優」なのだからイベントが本業なわけではない。本業はアニメなりドラマCDなり映画の吹き替えなり、そういうものだろう。そういう本業の仕事があって、それの人気をもとにイベントが開催されるわけだ。(イベントやライブ前提のものもあるけど)
あと普通にチケット当たらない。
元の作品を知らないくせにイベント来るな!とは言わない。イベントから作品を知ってそこから作品を観るならまあ順番は逆な気もするけどそれはそれで有りだとは思う。
逆に作品を見てどれだけ愛していてもイベントに来ない、というのも有りだと思う。
そう思うと現場数はやはり指標にならない。金額にしてもイベントに行かないのだから行く人に比べたら少ないだろう。
でもイベントに行かないから「推してない」とは言い切れない気がする。
舞台俳優にしても所謂「茶の間」だって賛否両論あるかとは思うが完全に「推してない」とは言い切れない。
だからと言って「『気持ち』さえあれば『推してる』と言える」とも言えないと思う。
 
あれ?「推す」って具体的に何をすることを指すんだろう?あれ?「推す」ってなに?私は推しさんをちゃんと推せてる?あれ?
推し方は人それぞれだと思う。死ぬほど金をつぎ込む「推し方」もあれば、ゆるくぽつりぽつりと現場に行くくらいの「推し方」もある。
推しが演じるキャラを脊髄反射で「推しキャラ」とするのも本当に「推してる」と言えるのか私は微妙なところだと思う。
 
「推す」ってなんだろう。
オタク界隈、色んな人がいて、そのオタクの数だけ「推し方」の種類がある。
だから自分の行い1つを取って他人と比べたりマウントを取るのは個人的には何の意味もないと思う。
だって自分と他人では推し方も推す基準も推す強さや深さは全く違うし、それがわかるのは本人しかいない。
だからきっと「私はこの人をこのスタンスで推していく」という強い意思が「推すこと」には必要なんだろうと思った。
胸を張って「私は推してる!」と言えるように自信を持って推し事をしたい。
それが最大限に金を使うことだったり最大限に現場に行くことだったり、それは人によって違うだろうけど。どんな方法だっていいけど、自分が自信を持てるような推し方をしたい。
もちろん、そこには一般常識やマナーも含めて「胸を張れる」というのが大前提。
要は、他人と自分は違うということですね。
ごちゃごちゃ言ったけどそれが言いたかっただけです。
 
という記事を書こうとしたら以心伝心したかのような記事が既に上がっていた。

foliage.hatenablog.com

この方は「2推し」を「推す」ということについてだったけど、この気持ち、めちゃくちゃわかる。私も元推しくんを推していたときはやっぱり両立するのは難しかった。

それもあってきっと元推しくんはもう推したくないんだろうなと思っている。

私の中の全ての臓器が「今は推しさんを何よりも優先したすぎるから他の人がそこに介入するなんて無理」って言ってるもんで…。

それに何より推しさんにガチ恋を極めすぎてもう推しさんしか見えない。

あとヨーグルトメーカーのレビュー(ではない)めちゃくちゃワクワクして読みました(私信)

とまあ、そういうことでした。

 

▼ご紹介頂きました

yorumushi.hatenablog.com

こちらのブログにてご紹介頂きましt………ん?

ご紹介?ご紹介っていうか告白…?どちらにせよありがたいです。

推しに似て(ちがう)ネガティブな私なので「もしや特筆すべきおすすめポイントがないのでは…」と不安になりましたがガチ恋ソングやコスメ系記事を気に入って頂いているようで嬉しいです。

そういやコスメ系の記事最近書いてないなあ。書こうかなあ。

そしてガチ恋ソング記事を書いたらカラオケ行きたくてたまんないです。誰かガチ恋ソング縛りカラオケに行きましょう。そして泣きましょう(重い)

とりあえず、ご紹介ありがとうございました。

 

引き続き、意見質問、こんな記事書いて等何かあればお気軽にどうぞ。

odaibako.net

 

ここまでお読みくださりありがとうございました!