おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

何のために現場に行くか

週のド真ん中に飲みすぎると翌日後悔するとしみじみ思った9ですこんばんは。*1

早速ですが、みなさんは何のために現場に行っていますか?

自分のため?推しのため?同担へのマウントのため?推しに貢献したという満足感を得るため?

まあ色んな目的があると思います。
最初に言っておきますが、どんな目的で現場に行っていようと私は全然構わないと思います。
この目的が正しい。こうあるべき。みたいなものはないと思っています。自由に行こうぜ。

でも私は何度考えてもどう考えても毎回「自分が行きたいから行く」に辿り着く。

「推しのため」はしんどい

推しのために行くという人もいるでしょう。
どういう意味合いで「推しのため」なのかは人それぞれだが。
例えば、推しのファンとして席を1つ埋めて推しの動員を増やしたいとか、よくわかんないけどまあ色々あるでしょう。
それが悪いこととは思わない。ていうかオタクならまずそう思いがちじゃないでしょうか。
推しのためにお金落としたい!推しのために働いてる!みたいな。私もよく思う。
でもそれだけを目的としていたらしんどくありませんか?私はしんどい。
全通できない私は推しにとって価値がないオタクだ…私なんて推しにとって必要ないんだ…とかことあるごとにしんどくなると思う。
「推しのため」に誰よりも現場に行かなくてはならないんじゃないかという「義務感」が出てきたらそれはもう「趣味」ではない。
そしてその「義務感」は勝手に自分が自分に課しているだけで誰に頼まれたわけでもなんでもない。
私は「オタク」はあくまでも「趣味」だと思っている。
自分の人生と生活があって、その中の一部に「推しを推すオタクの自分」がある感じ。もちろん四六時中推しのこと考えてるし推しの現場行きたいって思うけど。
単純に、「推し事」は「趣味」だから楽しいんだと思う。
推しを推す以前に私は普通に「舞台」が好きだから、観劇することも「趣味」だ。
「趣味」なのに「オタクならこうするべき」とか義務感を覚えてしまったらもう「楽しめないのではないか」と思う。
そりゃ普通にオタクしていたら色んなことで病むし悲しくなるし泣くしキレるけど、なるべく「楽しく」オタクをしたい。
現場に行くことが「義務」だと感じて、義務感に押しつぶされて苦しみながらオタクするようになったら私は一旦推しから離れたいと思う。
私はね、私は。

マウントの虚しさ

多分、上記の「推しのために通う義務感」を感じると、それを誰かに認めて欲しくなるんだと思う。違ったらすみません。
私はこんなに頑張ってる!こんなに通ってる!すごくない!?認めて!褒めて!ってなりそう。
まあ、毎回全通とかしてたらそりゃ普通にすごい。
でもそういう「推しに貢献している自分」を各方面にアピールしたところで、誰が褒めてくれるんだろう。
不特定多数に「すごい」と褒められたところで何が満たされるんだろう。そもそもどうして「すごい」と思われたいんだろう。
だって大好きな推しがいるから推しを見たくて行くのではないのだろうかといつも思う。
「自分が行きたくて行く」ならそれは「頑張る」ことではないのではないかといつも思う。
「行きたくて行く」ならそれは「普通」じゃない?それとも行きたくないのに行くのだろうか。
だから毎回こんなに通ってる私すごいでしょマウントを見ると、虚しく思う。
行きたくないのに行ってるのかな…とか。推しを見ることだけじゃ満足できず、誰かに認めて貰えないと満足できないのかな…とか。
私は大抵推しを見たら最高!ハッピー!ってなる脳みそが足りないオタクなので自分が行きたい分現場に行ければそれだけで最高にハッピーです。
そのハッピー感は私にしかわからないものだから、別に誰かに理解して貰えるなんて思ってないし、認めてもらおうなんて思わない。

それに、結局どんなに周りにアピールしたって本当に推しに貢献しているかを一番理解してくれるのは推し本人なんじゃないだろうか。
推し本人がそれを分かってくれるなら他になにもいらないと思うんだけど…それでも足りないのかな。わからん。

他人と競うのは無意味

同担拒否の人からたまに「私より通ってないくせに」というフレーズを聞く。
正直言って私にはそれが理解できない。
私はとっても自己中心的なので、誰が現場に行けて誰が現場に行けなかろうと超絶どうでもいい。「自分が現場に行く」ということが一番大事であとはどうでもいい。
だから他の同担がどのくらい通っているかなんて気にしたことがない。
そもそも、「オタク」というのは「オタクならこうすべき」というものはない。
オタクの基準も模範も正解もない。
だからそれぞれが自分の尺度で、自分のルールでオタクをしているはず。
そんな、みんなが自分の尺度でオタクしている中、自分の尺度で違う尺度の他人と比べて競うことに何の意味も見出だせない。
各々尺度もルールも価値観も違うんだから比べることも競うことも無意味じゃないのだろうか。
自分の「1公演」と他人の「1公演」の重みは同じとは限らない。
みんなそれぞれ色んな事情を抱えてオタクしてるし、色んな思いを抱えてオタクしているはず。それは第三者から見たらわからないことだ。
自分がどんな事情でどんな思いで現場に行くかなんて、やっぱり自分以外には理解できない。
私だって「この公演日は私の誕生日なので絶対行きたいんです!譲ってください!><」と言われたら「いやスーパーウルトラ知らんがな」って思うけど当人からしたら超重要事項かもしれない。
そうやって理解し合えないんだから、他人がどれだけ通おうが通ってなかろうが、気にするだけ無駄だと思う。
自分が行きたい分行ければそれでいいじゃん。だめ?

結局めんどい

とりあえずめんどい

オタクなんてもっと他に色々考えなければならないことも、悩まなきゃいけないことがあるはず。
接触で何話そうとか、手紙になに書こうとか、この日の現場は何着ようとか、推しがかっこいいなあとか、推しが好きだなあとか色々考えることも悩むことも多い。
そんな中でいちいち「他の同担がどれほど通っているか、それは私より下か上か」なんて考える時間があるならそれをもっと有意義なことに使いたい。
時間がないんだよ!オタクには!遠征準備して!手紙書いて!行って!観劇して!食って!飲んで!帰って!荷解きできないまま仕事!!!!時間がないんだよ!!!そんな無意味な悩みを抱えている暇はないんだよ!!!!
ただでさえすぐ病むのに!!!余計なことで病みたくないんだよ!!!!!!!
だからなるべく何も考えなくていいように、現場に行く基準はシンプルイズベストにしたい。
「私が行きたいから行く」
うだうだ考えるのめんどいもん。



以上、私の「現場に行く目的」でした。
だからどうしたって感じですけど書き留めて置きたかった。
今後どうなるかわからないけど何のために現場に通うのかわからなくなって悩んでしまった未来の私のために。
悩んでほしくないけどね!なぁ自分!はい!(自問自答)


何かあればどうぞ。
odaibako.net

*1:それはそう