おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

「ありえない」なんてありえない

どっかの漫画のどっかのキャラの台詞にありましたね、こんなの。

私は大抵論理的なので「普通に考えてこれはありえない」とか考えがち。
こないだの某アイドルの件も「このポジションでこの時期になんてありえない」と思っていたが、友人の「でもありえないと思ってたことが実際ありえたから」という言葉でハッとした。
思い返せば今まで私は沢山の「ありえないこと」が現実になったのを見てきたし体感してきた。

アルバムもツアーも決まっているバンドがいなくなるなんてありえない。
ツアーも好調でこれからという時に解散なんてありえない。
ツアー中なのにメンバーがいなくなるなんてありえない。
ライブが中断するなんてありえない。
もう少しで夢に手が届きそうなバンドが活動休止なんてありえない。
こんなに仕事が沢山あるのに私が定時退社できるなんてありえない。

全部「ありえた」。
一番最後は今日のことね、今日。サンキュー上司。

仕事で言えば、長年「ありえない」とされてきたことがここ数年すべて現実になり、私に降り掛かってきた。
周りから憐れみの目で見られたことも、みんなが「ありえないだろう」と思っていたことが「ありえてしまった」からだ。

先日友人から「直感で私はあと数年で死ぬ気がするから遺書を書いた。私の家の親に見せられない書物とデータの処理はすべてお前に一任した」と謎のカミングアウトをされた。
「数年で死ぬ確証なんてないじゃん」と言うと「でも死なない確証もない」と返された。
たしかに。
明日のことどころか、1秒先のことだってわからない。

推しのこともそうだし、自分のこともそう。
私がよく言ってることだけど、いつ推しがいなくなるかわからない。
だからその時できる推し事をできるだけしたいし、現場にも行けるだけ行きたい。後悔したくない。

だけど、もし推しに飽きてしまったり、なんらかの理由でオタクをやめなければならないことになったら?
「そんなのありえない」と言いたいが、「ありえない」は「ありえない」のだからもしかしたらありえるかもしれない。

もしオタクから足を洗ったら、今まで推し事に使った金額に後悔する時が来たら、働けなくなったら。
そう思うと「今が楽しいから先のことはどうでもいい」なんて言ってられない。
でも推しをいつまで見られるかわからないから、今も存分に楽しみたい。

充実した人生を送るには、きっとこの「今」と「将来」のバランスが大事なんだろうと思う。
自分の中でそのちょうどいいバランスがどこなのかは自分で探っていくしかない。
だから尚更オタクなんて他人に合わせたり他人と比べたりすることは無駄だと思う。
自分の幸せは自分で決めて、自分でしか味わえないんだから。



なんて現実味のある話をしたけど、このタイトルの言葉は「ガチ恋」にも言えるだろう。

ガチ恋を自覚する前、ガチ恋なんてやべー奴で痛い奴だと思っていた。
いや、まあ、今もあんまり否定する気はない。自分でも痛いと思うしだいぶやべーと思う。
どんだけ私がここで書いたって、ガチ恋に理解がない人からしたら「痛いオタク」で終わると思うけど、まあそれはそれでいい。わかる人にだけわかれば。

ガチ恋なんて、「ガチ恋」とか名称をつけて枠に当てはめているだけだけど、本人たちはちゃんとしっかり恋をしている。
「好き」の形は色々あると思うけど、ちゃんと恋愛として「好き」で苦しんだり悲しんだり喜んだりしているわけだ。
そんなガチ恋が、「叶わない恋」ときっぱり言われると、悲しい。
「叶わない」って、推し本人から言われたり、推し本人が違う誰かと結婚したりしない限り、言い切れないものなんじゃないだろうか。
三者が言い切れることではないと思う。
だからと言って「叶う」とも言い切れない。

もしかしたら推しは公にしてないだけで、既婚かもしれない。
もしかしたら推しは彼女がいるかもしれない。

でもそれらって、「事実」ではなく「可能性」に過ぎない。
ただの「可能性」ならガチ恋だって同じ「可能性」だと思う。

「ありえない」なんて「ありえない」。
どんなにゼロに近い可能性だって、可能性は可能性だ。
先のことなんてわからない。急展開があるかもしれない。
夢見すぎかよコイツキモとか思われたって別にいい。
「叶わない」という「事実」がない限り「可能性」に夢を見たっていいと思う。
推しにも、周りにも、何も迷惑かけなければ夢を見ようが想いを馳せようが、それは個人の自由だと思う。

でも、夢を見すぎると、「事実」を目の当たりにした時、とてつもなく傷つく。
あー推しにとって私はただのファンでしかない。と痛感した時。とか。
当たり前のことだけど、それが覆すことのできない事実だし、推しとの距離の遠さも事実だから、それを痛感する瞬間が一番つらい。

でも、この先はわからないから。なんてまたほんの僅かな可能性に夢を見て自分を奮い立たせることしかできない。
そうやって「ありえないことはない」と言い聞かせないと前を向けない。
そこまでしないといけないくらいに辛いならやめればいいのに、と言われたって、「やめよう」と思ってやめることができないからこうやって苦しんでいる。
自分の意思で簡単にやめられるならガチ恋になってない。
ガチ恋は痛いし頭おかしいと思われてるかもしれない。
まあ、実際そうだと思う。私も。
でもガチ恋だって、人間だから、苦しいし傷つくし悩むし悲しむ。
人間だから、それでも少しでも前向きに生きようと思ってあれこれ模索してたりする。

なにが言いたいかわからなくなってきた。

オタクも、ガチ恋も、楽しいときもあればつらいこともある。
それは万人に理解されることではないかもしれない。
世の中いろんな可能性があると思う。
それはいいことでも悪いことでも。
先のことなんて誰にもわかんないんだから、自分で「こうだ」と決めた推し方で、オタクしていくしかないし、自分なりに恋をしていくしかない。

「後悔」が全くない人生なんてないと思う。
でもそれだって、わかんないから。
とにかくまあ、自分で考えて自分で頑張るしかない。

世の中のオタクのみなさんも、ガチ恋のみなさんも、みんなそれぞれ頑張りましょう。


なんか、そういうことが書きたくなった気分でした。
何かあればお気軽にどうぞ。
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