おたくのひとりごと

自由気ままにぼやいています

推しスタンスを振り返ってみる

ふと、なんとなく振り返りたくなったので振り返ってみる。
今でも別に言うほどガッツでもないけど、昔はもっとゆるゆるで、推しのことで病むなんてこともなかった。
いつでも「推しの芝居好きー!推し好きー!」としか思わない頭空っぽのオタクだった。
今はどうなのか。
すっげー病むしめちゃくちゃ色々考えてしまう。
推しさんを推すことで、もちろん幸せな気持ちになることの方が多いけど、辛いこともあるし悲しいことも苦しいこともある。

そもそも、私はいつから推しさんを推していたんだろう。
ぶっちゃけちゃんと「推し」という概念を理解したのがものすごく遅かった。
鎖国し続けたオタクなので他のオタクがどのように「推し事」をしているかなんて知る由もなかったし、本当に気楽だった。
比べる他人もいなければ、本当に「自分がしたいようにする」だけだったし。
初めて推しさんの舞台を某ミュで見てから数年は完全な茶の間だった。
色んな意味で遠征が出来るようになってからは推しさんの出演作はほぼ1回は観に行くようになった。
色んな事情で見れずに終わった作品もあるけど。

純粋に、「推しさんの芝居」が好きだった。
推しさんが実際どんな人なのかは結構どうでもよかった。
でもバクステやメイキングを見たり、ラジオやニコ生を見たり、SNSやブログを読んだりするうちにどんどん「素敵な人だなあ」という想いが募っていった。
それがもう何年前になるのかはもう覚えていない。
「推しさんが好き」というよりは「推しさんを尊敬している」という感情だった。
でも、私は「推しさんの芝居が好き」だし、地方だからホイホイ遠征に行ける訳もないので「推しさんの舞台さえ1回でも観られるなら満足」だった。
イベントはずっと行かなかったし、手紙やリプなどで感想や応援の気持ちを送ることもなかった。
しかし、「推しさんを尊敬している」感情がどんどん膨らんで行き、どんどん「好き」という感情も膨らんで来た。
イベントに行ってみたい。多ステしてみたい。全通してみたい。そんな欲望が沸き上がってきた。
でも、まだ実家にいた私はそんなことは夢のまた夢だった。

ちょっと話は逸れるが、こないだ実家で掃除していたら、学生の時に書いた未来の自分宛ての手紙を見つけた。(あのときは全員書いてたので決して私がめっちゃポエミーなお花畑野郎なわけではない…はず…)
懐かしくなって読んでみたら、昔の自分はこう書いていた。

「私は今推しさんという俳優が好きです。死ぬほど飽き性な私だからこの手紙が届くころにはきっと違う人を好きになっているでしょう。誰を好きでもいいけど東京に舞台を見に行くことはできていますか?私の家庭はみんなからおかしいと言われるほど厳しいらしいので、きっとそれも無理でしょうね。いつか東京に舞台を1度でいいから見に行くことが、今の私の夢です。いつか叶えられたらいいなあ。」

えっと……叶うどころか……なんかごめん……こんな…まるで地元からちょっと足伸ばしたくらいの感覚でホイホイ東京行ってて…なんか…すまん…(?)
そしてこれを読んでハッとしたのだが、昔の私から見れば今の私の状況は「夢」であり、「ありえないこと」でもあった。
今こうして遠征に行きまくったりしているのは、きっと「普通ではない」。
いやまあ、昔の私にとってはの話だけど。他のオタクからしたらこれが普通かもしれないし常識かもしれないけど。
そう思うとなんだか感慨深くなった。
そして昔の私が言うように昔から死ぬほど飽き性で好きな漫画も好きなものもコロコロ変わっていた私がずっと推しさんを好きでいるのも、ちょっとすごいなあと思った。

基本的に遠征をするようになってからは、「好きな芝居の俳優さんの舞台に行く」というスタンスだったので推しさんだけでなく他の俳優さんの舞台も軽率に行っていた。
多分それは所謂DDというやつだったんだと思う。まあそういう概念すらもなかったけど。
そう考えると、「好きな俳優」「好きな声優」は確かにコロコロ変わっていた。
でもずっと好きな気持ちが変わらなかったのは推しさんだけだった。
茶の間期間もあったし、他のオタクからしたら弱小オタクだけど、そんなこと人と比べても何にもならない。
私が推しさんをずっと好きで居続けているという事実をどんなに感慨深いか分かるのは私しかいない。

推しさんは、私の憧れだ。
それは「尊敬」の意味もあるし、今は「恋愛」としての意味もある。
推しさんの舞台を見に行く度にどんどん涙腺が弱くなっている気がする。
ギャグな舞台でも泣く。
みんな笑っているのに泣くなんて変だし目立ちたくなくて(ジャパニーズクノイチだからね)ひっそりと静かに誰にも気付かれないように泣こうと心がけてはいるんだけどどうしても泣いてしまう。
流石に自分でも涙腺がおかしいのではないかと思ってきた。
それをとある人に言ったら、「そうじゃないよ」と言われた。
「涙腺が弱くなったんじゃなくて、9さんが沢山色んな経験をして、沢山色んな作品を見て感受性が豊かになったから泣いてしまうんだよ。それに9さんは作品のことだけじゃなくて俳優さんのことも考えられる優しい人だから涙が出てしまうんだよ」と言われて、また泣いた(泣きすぎ)


それに、私が推しさんから与えて貰ったものはあまりにも大きすぎて、あまりにも多すぎる。
別に私個人に与えてくれたものじゃないし私が勝手に受け取ったと思っているだけだけど。
それを少しでも返せたらいいなと思って劇場に行くし、手紙を書く。
これが「返す」ことになってるのかはわからないけど、少なくとも推しさんはそれらが嬉しいと言ってくれてるからそれでいいのかなと思っている。
推しさんのお芝居を見る度に、どんどん感謝の気持ちも、与えて貰う物も増えて行く。
もっともっと、返したいと思う。
感謝をしても足りない。いくら返そうと思ってもほど遠い。
そうしているうちに昔の自分には「ありえない」と思っていた境地へと辿り着いた感はある。
三者からしたら「その程度で?」と思われるかもしれないが、私にとっては結構大きなことだ。

初めて推しさんを見たときも、確かにちゃんと「好き」だと思った。
茶の間として推しさんのお芝居を見ていた時もしっかり「好き」だと思った。
初めて遠征したときも、他に好きな俳優や声優がいたときも、しっかり推しさんを「好き」だと思った。
状況は違えど今までずっと「好き」な気持ちには変わりない。
何が変わったんだろうと思うと、やっぱり貰ったものも、それに対する気持ちもどうしようもなく膨れ上がってしまったんだと思う。

推しさんへの感謝が溢れすぎて、今まで手紙を書かなかったのに初めて筆を執ったのが数年前。
きっとあの時から私の中での推しさんの存在は大きく変わった。
推し、というより恩人に近い。
もちろん私が勝手に思ってることだけど。

何が言いたいのかわからなくなってきた。
振り返って思うのは、「無理だと思っていたことも、案外どうにかなる」ということだ。
それは推し事でも、それ以外でも。
やっぱり人生なんて自分でも自分がこの先どうなるかなんて予想はつかない。
過去の自分にも、未来の自分にも、そして推しさん本人にも恥じないで胸を張って推しさんを応援していると言えるような、そんな推し事がしたい。
それからもう一つ、過去を振り返ってみて思ったことがある。




どう足掻いても推しさんが好き!





以上です。ご静聴(?)ありがとうございました。