おたくのひとりごと

自由気ままにぼやいています

ガチ恋を名乗ること

ガチ恋って定義が難しいと思う。
私自身もいつからガチ恋になったのかよくわからない。
接触がきっかけだったと思ってるけどそれまでずっと気持ちを否定していたし、否定していた時点でガチ恋だったかもしれない。
恋とは落ちるものとは言うけど、私はいつ落ちたんだろう。
だから何を持って「ガチ恋」と言うかは人それぞれな気がする。まあ、それは別にいい。自由にガチ恋を名乗ればいいと思う。
そこで、私なりの「ガチ恋を名乗ること」についてまとめたいと思います。

多様なガチ恋をひとまとめにされがち

冒頭でも述べたようにガチ恋にこれといった定義がないからこそ多様なガチ恋が存在している。
「これはガチ恋だ」「それはガチ恋じゃない」という線引きは、私には難しいので本人がガチ恋と主張するなら「そうなんだろう」と思う派だ。
そんなガチ恋の中には出待ちや追っタク等迷惑行為をしてでも推しと繋がりたいガチ恋もいる。
逆に、「ガチ恋」と主張しておけば自分は特別で愛情が深いと示せると思っている所謂「ファッションりあこ」と見えるようなガチ恋もいる。
どんなガチ恋であろうと「ガチ恋」は「ガチ恋」。本人がそう主張しているのなら。
だから「ガチ恋」と名乗れば、自分はそういうつもりがなくても迷惑行為をする人やファッションりあこ等とひとまとめにされる。
そういう風に見られてしまう。と私は思っている。
現に私だって「その程度でガチ恋とかファッションりあこ乙~」と思われているかもしれない。「こいつ迷惑行為してんじゃねーの」と疑われているかもしれない。
ファッションりあこに見られているかどうかは別に線引きは人それぞれなのでご自由にご想像くださいという感じだが、私は推しにも周りにも迷惑をかけずに好きでいたいと思っている。
そんなことここで主張したところでどうにもならないが。

どう認識されているか(思われるか)わからない

きっちりとした「定義」がないからこそ、人によって線引きの仕方が違うからこそ、どう認識されているかわからない。
前述したように「ガチ恋=迷惑行為するやつ」と思われるかもしれない。
「ガチ恋=現実見れてない痛いヤツ」と思われているかもしれない。
そもそも普通にどんなタイプであれガチ恋は嫌いだという人だっているだろう。
痛いとか、可哀想とか、バカだとか、少なくとも良いイメージがあるだろうと思えることの方が少ない気がする。
マイナスなイメージが少なくともあるかもしれないとわかっていても堂々と「私はガチ恋だ」と周りの友人に報告できるか?私はできない。
相手がガチ恋についてどう思っているのか、どう認識しているのかわからなければ安易に言うことはできない。
だから、ガチ恋を応援されたり励ましてくれる理解ある友人は本当に貴重だと思う。
なかなかそんな友人はいないからこそ、ガチ恋の悩みは誰にも打ち明けられないものだし1人でもがき苦しんでいるのだと思う。
そう考えるとその苦しみを吐き出せるブログってめっちゃいいね。
めっちゃいいからこそ慎重に大切に向き合いたいね。

「ガチ恋」という言葉は好きじゃない

これだけガチ恋に関して色々言って来て、自分自身もガチ恋だと言ってる分際で何を言っているのか、と言う感じなのだが私は「ガチ恋」という言葉が好きではない。
そういう枠を勝手に作られて、勝手にそこに押し込まれている感じがするから。
何度も言うように多種多様なガチ恋が存在しても全員が同じように「ガチ恋」と名乗れば全て同列に見られるだろう。
私の恋は私にしかわからないのに他の人と同じにされたくない。
私の恋とあの人の恋と、この人の恋、全部違うのに全部同じ「ガチ恋」という一言で片付けられてしまうことが何だかやるせない。
もっと言うと、何故か「ガチ恋」という名称にステータスを感じる人種がいる。
「ガチ恋」であることに私がいくら悩んで苦しんでも、それを「ステータス」だと思ってガチ恋を名乗る輩がいるかと思うと胸糞悪くて仕方がない。
そんな輩とすらも同類だと思われることも嫌だ。
じゃあガチ恋やめればいいじゃん。
腐るほど言っているがやめようと思ってやめられるならガチ恋になっていない。

恋かどうか決めるのは自分しかいない

いろんなガチ恋がいてもいいと思う。*1
どんな立場でどんな環境でどんな状況でガチ恋を名乗ろうと自分が「確かにこれは恋だ」と決めたのならばそれが全てだと思う。
「私はガチ恋なのか」と不安になる時期はあるだろう。私もそうだったしそれ故にずっと否定してきていた。
自分の気持ちに自信が持てないのは普通の恋愛にだってよくあることだし。*2
1人で悩み抜こうが誰かに背中を押して貰おうが、途中経過はどうだっていい。
最終的に「これは恋だ」と決めるのは自分しかいない。
誰かに決断を委ねる恋なんて恋とは呼べないのではないか、と私は思う。
自分の感情なんて自分にしかわからない。
自分で「恋」と言い切れないのならそれは恋ではない。
それだけのことなんじゃないだろうか。

ガチ恋を名乗ること

ガチ恋を名乗ることって、いろんな意味でリスクが伴うと思う。
私もブログではこのようにガチ恋を名乗っているが、でもそれも私にとってすごく勇気のいることだ。
私がここで「ガチ恋」と名乗ることで、「お前なんかと一緒にされたくない」と不快に感じる人がいるかもしれない。
ガチ恋の存在自体が不快な人だっているだろう。
そんなリスクを考えだしたらキリがないが、全く考えないのも良いことではないと思う。
私は私の考えを綴るし、所詮ここは「おたくのひとりごと」の場でしかないけど、多様なガチ恋が存在するからこそ慎重に言葉を選びたいとは思う。
でもそれはガチ恋に限った話しでもないかもしれない。ブログで文章を公開してる時点でそれは気をつけるべき点であるだろう。



「ガチ恋」ってなんでしょうね。
正解や模範解答がないから難しい。
でも、正解や模範解答がなくても私は個人的にただ「恋」をしているのだから、推しを悲しませたくないし不快にさせたくもない。そしてなにより迷惑をかけたくない。
それから推しが素敵な人だからこそ、釣り合うような素敵な女性になりたい。
いつか推しに胸を張って「あなたが好きです」と言えるくらいの人間になりたい。
私の「恋」はそういうものです。


ご清聴ありがとうございました。

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どちらもお気軽にどうぞ。

*1:ただしファッションりあこと厄介は除く

*2:ここで言う「普通の恋愛」は相手が推しでなく一般人である場合を指すが、相手が推しでも私は「普通の恋愛」と変わらないと思っている。