おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

思いやりと自己満足

オタクと全く関係のないところで感じたことをオタクに変換して考えてみたどうしようもないオタクのひとりごとです。

「良いオタク」って何でしょうね。
「良いオタク」と「厄介オタク」どちらになりたいかと言われたらそりゃあ前者でしょう。
じゃあ「良いオタク」とは。

全ての公演を全通するオタク?
いつもお花出すオタク?
いつもプレを出すオタク?
いつも手紙やリプを欠かさないオタク?

何をどうすれば「良いオタク」と言えるんでしょうか。
上記に挙げたものたち、もちろん毎回じゃないけど私も経験がある。
でもそれは「自分がしたいと思ったからした」というだけの話である。
つまり、これらは私は自己満足だと思っている。やりたいからやる、したいからする。ただそれだけのこと。
自分がやりたいことをやって、それが「推しのため」の何かに繋がったらこれ以上嬉しいことはないなあ、くらいの気持ちだけど自分のオタクとしての行動全てが「推しのため」が原動力ではないだろう。
根底にあるのは「自分がしたい」という欲だと思う。

推しのために全通。
推しのためにブロマイド全部買う。
推しのためにプレを贈る。
全て推しのために。

気持ちはわかる。やる人はやるでしょう。私もするし。
だって推しが好きだもんね、そりゃ好きな人のために何かをしたいと思うのは当然の心理だと思う。
でも、推しだって人間だ。
他人からの自己満足を一方的に押しつけられて、それが本当に推しのためになっているんだろうか。
そりゃ何もしないよりは何かをした方が何かしらの気持ちは伝わる。
ただ、それによって「良いオタク」と周りからも推しからも思われるかは別問題だと思う。
「推しのため」と豪語していても、そう言って取る行動は本当に胸を張れるものだろうか。
誰かのために、相手を想って行動する。
つまり「思いやり」の心だと思うのだが、オタクに限らず人間とは難しいもので、口ではいくらでも「相手を思いやって」「相手の気持ちを考えて」とか言えてしまう。
そう言ったところで、本当にその後の言動は「思いやり」を持てているのだろうか。
個人的に、「相手を思いやっているつもりの人間」の「結局自分のことしか考えてない言動」ほど醜くて相手を傷つけることはないと思う。
いっそ相手のことを最初から考えてないと言ってしまった方がいくらかマシだと思う。

オタクも、そうなんじゃないだろうか。
推しのため、推しのためと言いつつも結局は自分のことしか考えてないのではないだろうか。
いや主語が大きすぎた。オタクもそう、ではなくて、私がそうなのではないだろうか。
推しにどんな形であれ「ありがとう」と言われたら素直にその感謝を受け取るけど、それでも私は「推しのため」に何かを出来ているわけじゃない。私がしているのは全て自分がしたいと思った自己満足だから。
だから私は「推しのため」という感情はなるべく持たないようにしている。
結局「推しのため」と言いつつ自分の欲望を叶えるだけになり、それによって「自分は最低だ」と病んでしまうから。
そうなるくらいなら「推しのため」と思うよりは「とにかく自分がしたいことをする。それがもし推しの何かに繋がればハッピー」くらいに思うように心がけている。

極端に言うと私は「推しのため」に何もしていないと言える。
そんな私は「良いオタク」と言えないのだろうか。
自分の欲求にまっすぐなだけの私は「良いオタク」とは言えないのだろうか。
なんて、定期的に頭に浮かぶ。
「良いオタク」ってなんだろう。
何をすれば「良いオタク」と思われるんだろう。
マナーとルールさえ守ってデカい声を出さなければ全員「良いオタク」なのだろうか?
「推しのために」なにもせず、自分の欲求に素直に生きていてもそうなのだろうか。
まあ誰かに「良いオタク」と思われたところでどうなるのかもわからないけど。
厄介と思われるよりはいいのかな。

今のお友達と知り合ったばかりの時に推しさんのことを話した。
その時、「9さんの推しさんは素敵な人だからその人を推してる9さんも良い人ってわかる」と言われた。それがすごく嬉しかったし誇らしかった。
昨今オタクの素行が悪くて役者そのもののイメージが悪いなんていうケースもよくある中、そんなことを言われる推しさんは本当に素敵だと思ったし、私もそんな推しさんの顔に泥を塗らないように清く正しく生きて行こうと思った。
ただ、元々私は性格もひねくれているし嫌味っぽいしいいところなんて本当は何もないからこそ、「私のせいで推しさんのイメージが下がったらどうしよう」という不安も大きかった。
しばらく経ってから、友人達にこう言われた。
「9さんと出会う前から9さんの推しさんは知っていたけど、9さんの色んな話を聞いて9さんの推しさんがもっと良い人だとわかったしイメージが上がった」

それが、何よりも嬉しかった。
それはまあ、私の友人達が素晴らしく優しくて菩薩のような人たちだからこそ私なんぞにそんな素敵な言葉をくれるのだろうけど、それでも嬉しかった。

「良いオタク」がどんなものかはわからない。
多分ずっとわからないままだと思う。
だけどとりあえず私は「推しのため」ではなく「自分のやりたいこと」をまっすぐに叶えていくだけだし、大切な友人たちにずっと推しさんが素敵だと思い続けてもらえるような、そんなオタクでありたいと思った。

今一度、自分の胸に手を当てて、私の言葉や行動は推しさんにとって足を引っ張るものではないか、友人達に顔向けできないものではないかと振り返ってみる。
色々とひねくれまくってる醜い人間なので清く正しく生きるのは今更無理だけど、胸を張って推しさんが好きだと言える人間になりたい。そう思った。

推しさんのイメージを下げたくないからこそ、ブログ書くのもいつもビクビクしているし何度も消した方がいいのではと思うこともある。でも、お題箱を覗く度に嬉しい言葉が並んでいると、これでもいいのかなと思えてくる。
本当にただの1人のオタクのひとりごとのこのブログだけど、いつも沢山のアクセス、コメント等が嬉しいです。ありがとうございます。
……と言ってお題箱返信溜めてるけど……すいません!!!!

とりあえず、オタクである前に、1人の人間としても「思いやり」と「自己満足」を履き違えるような人間になりたくないと思った。

という、盛大なひとりごとでした。

ここまでお読み下さりありがとうございました。

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