おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

オタクだって現実を見る

どこで読んだかわかんなくなってしまったけど、以前はてブロで「結婚適齢期のオタク」についてのエントリーを読ませて頂き「しんど!!!!!マジでそれな!!!!!」と天を仰ぎました。

リアコの方はどうなのかわかりませんが、リアコじゃないオタクなので結婚願望はあるけど推しのためにお金の時間を割きすぎて結婚できる気がしない。あと推しくんが最高。婚活しようと思っても自然と公演スケジュールを調べていて手帳が公演で埋まる。あと推しくんが最高。とか…結婚適齢期オタクあるあるですよね???そうですよね???

まず職場での出会いは皆無。周りはみんな既婚者だし。

今後異動とかして独身フリーの人がいたとしても、ぶっちゃけ言って私の職場にいる職種の人には恋愛感情を抱かないと思う。親とか周りは「その職種の人なら安泰ね」とか「しっかりしてそうね」とか言って職場で相手を見つけて欲しそうなことを言うんだが、世の中が抱いているイメージとは違って実際は一般常識もわからず人の話も聞かないプライドが高いだけの人ばっかりなんだよなあ…。

その人たちに腹を立て帰りの車の中でハードロックをがんがんにかけて退勤している日々を送っている私が職場の人に心惹かれるなど今の時点では考えられない。

そしてそもそも、多分私は相手への理想が高い。

今までお付き合いした人のことを振り返ると、私は毎回オタクであり腐っていることは公言していた。というかオタクを公言していた状態で付き合ったことしかない。

相手は非オタクだったりライトオタクだったり重度のオタクだったり様々だったが、みんな最初はオタクに理解を示してくれた。

付き合う時必ず最初に「私は何よりも推しのことを最優先しますがそれでもいいですか」と言っておく。最初はそれでも構わないと言ってくれるのだが、次第に「俺と推しどっちが大事なの」と言われる…。まあ推しを優先する限度というものがあるんだろうけど…それを私が超えていたのだろうけど…そこは私が悪いのはわかってんだけど…目前に推しの公演やライブがあったら、脊髄反射のようにチケット取っちゃうんだよね…。

そしてそんな重度なオタクな私をしっかり理解してくれる重度のオタクと付き合っても、お互いオタク活動が忙しすぎて会うどころか連絡も取らないので「付き合ってる意味なくない?」となり自然消滅。

オタクを理解してくれて、遠征も行って来いと言ってくれてほどよい距離感で付き合える、常識もあって誠実な人がいいとか思うけどそんな人いる?希少種じゃない?

人並みにお付き合いするためには今のようなオタク生活は控えた方がいいのはわかっている。わかっては…いるんだよ…。

実家に帰れば「良い人はいないのか」攻撃をされる。兄は所帯を持って子供もいるので「もう孫は十分でしょ」なんて冗談交じりに言うと祖母から「頼むから私が生きているうちにウエディングドレス姿を見せてくれ」と言われ言い返せなかった。我が家で娘は私1人だし、祖母にとっても孫で女は私1人なんだよな…そりゃそうも言うよな…。

とりあえず今の日本の医療技術の進歩を信じてあと数十年は長生きしてください、ばあちゃん。

職場のことでキレ散らかしている様子を見て両親は「職場で良い人見つけろ」と言わなくなってきたが、そろそろ結婚してほしいとは思っているんだろうなと感じている。

そのためにはこのオタク業を控えた方がいいのもわかってる。

推しの舞台やイベントに通うためには交友関係を犠牲にすることが多いと思う。私も非オタクの友人との付き合いが薄れてきた。でもそれじゃあ駄目なんだよな、と思い、職場や学生時代の友人たちの飲み会に積極的に参加するようにしている。それが出会いになるとは思ってないが、身近なところから踏み出すしかない。

街コンとかそういうのは行った方がいいのかと思うのだが、賛否両論で正直ずっと躊躇っている。

何をどうすりゃいいかなんてわかんないけど、とりあえず今の自分ができそうなことから変えていきたい。とは思ってる。

でもいずれ、結婚して子供ができたら今のように軽々と遠征はできないしソシャゲだってやれる時間が削られていくだろう。そう思うと「今のうちに行っておかなきゃ!」と必死にチケットを取ってしまう。でも相手もいないのだから、そちらに努力する時間も割かなくてはいけない…でも今のうちにもっと推しを見たい…。という葛藤。

そんな葛藤を抱きつつも、結局は推しのために遠征しているんだけど。

でもふと、「推しのために現場に行かなきゃ!推しのために金を落として推しのために働いて推しのために推しのために」って言い過ぎていると「誰の人生を生きているんだろう」と思ってしまう。

推しのためなら仕事頑張れる!推しのために現場行く!」とか言ってるけど結局それって「推しのため」という綺麗事を掲げているだけで単なる自分の欲求なんだよなあと思ってきた。「推しのために現場行く」「推しのためにお金落とす」って、結局は自分が見たいだけじゃん。自己満じゃん。誰に頼まれたわけでもないのに勝手に義務を感じて勝手にお金と時間を割いて、そのあとに待ってるのって何だろう。

結局自分は自分の人生を生きるしかなくて、推し推しの人生を生きるしかなくて、私が推しの人生に無理矢理介入することはできない。別に介入したいわけじゃないけど。

なんのためにオタクをしているんだろう。推しに認知して欲しくて?推しに感謝されたくて?推しと結婚したくて?少なくとも私はどれでもない。推しが楽しそうに好きな芝居をやっていて幸せそうな姿を見たくてオタクしている。

そしたらもっと、私は私の人生もちゃんと生きなきゃいけない気がする。だって幸せそうな推しを見たいがために、自分の人生を犠牲にするなんて、取り返しがつかなくなったら後悔するんじゃないだろうか。

推しが見れるなら独り身でもいい、自分の人生なんてどうでもいいと思った時期もあったが、結婚が現実味を帯びた歳になると「独身で生涯を過ごすには貯金はいくら必要だろう」とか「老後暮らしていくにはどうすべき」とか「年金だってもらえるのだろうか」とか色々考える。

そもそも一般人より貯金額は圧倒的に少ないだろう。推しのためにお金使ってるからね。そんな平均以下の貯金で仕事がなくなったらどうやって生きていく?死ぬしかなくない?死ぬか?でも死んだら推し見れないよ?いやだ~~~~~~~~~~~~!!!!!!!

1人でこの先どうなるか分からない世の中を生きるより、2人で生きる方が圧倒的に安心だろう。「あの時もっとちゃんと自分の人生に向き合ってオタクしていなければ」と後悔しながら孤独死は正直したくない。今、若いからこそ(もうだんだん若く無くなってきたけど)「独りでいい」と思えるのであって、実際独り身で生涯を過ごしてそれでも本当に「独りでいい」「自分のことより推しが幸せなら」って思えるんだろうか。私は善人でもなんでもないからいくら推しとは言え、人のために自分の人生を犠牲にできるほど人間ができていない。結局自分が満足のいく生活ができて幸せになれるかの方が重要だ。でもその自分の幸せには「推しを見ること」「推しが幸せなこと」も含まれるから矛盾が生じるんだよ…わかってるよ…。

なんかめっちゃ壮大な話になったけどオタクであったことを後悔しないためには、もっと自分の生活、自分の人生も見つめる必要があると思った。

オタクであることを後悔したくないけど、オタクとしても後悔はしたくない。

矛盾すぎる。そのちょうどいいバランスがとれればいいのだけど、それがどこなのかわからない。難しいな、生きるって。答えが欲しい。ないだろうけど。

普段「推しが最高!推しかっこいい!推しがかわいい!」と沸いてる私も、現実を見ることもあるよっていうだけの話でした。