おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

推しが演じれば何でもいいのか問題

うまいタイトルが浮かばなかった。

 でもこう問われたら別に悪いことじゃない気がしてくる。だって推しだもん。推しが好きだから推しが演じるものはそりゃ好きに決まってる。

でも、ちょっとよく考えてほしい。

推し声優が演じているから、という理由でそのキャラが自動的に推しキャラとなるのはいかがなものか。

役者なんだから色んな役柄を演じるだろう。クール系だったりかわいい系だったり、コミュ障だったり王子系だったり。その人の得意分野もあるだろうが。

そして人それぞれ好みのキャラのタイプってあるはずだろう。かわいい系が好きとか男前系が好きとか。

その好みのキャラのタイプが「CV○○ならなんでも好き」っていうのはどうなんですか?それって本当にキャラのことが好きなんですか?キャラクターなんてどうでもよくて、ただ推し声優だけが好きなんじゃないんですか?

推しなんだから声が好き!というのはわかる。私だってそうだし。

最近はアニメやドラマCDの他にもアプリゲーが盛んで次々と色んな作品が出てくる。それに合わせて色んなキャラも出てくる。その度に「推せそうなキャラはどれかな~」と吟味している横で「CV○○だからこのキャラ推すわ」と即決していく人々を見ていると「え…それでいいの?」という気持ちになる。

もちろん、「推し声優だしこのキャラが気になる」からスタートするのは誰しもがあることだとは思うけど。即決にはならないと思う。

今は器用な役者さんが多いので色んな声色、色んな役柄を演じる人が多いと思う。例えば推しくんがAという作品ではクール系キャラだけどBという作品ではぶりっ子キャラだとして、推しくんだからどっちのキャラも推す!ってなる?なるの?

「声」のみでキャラクターを判断しているんだろうか。「声」で判断してるならまだマシだが「中の人」で判断しているのはどうなんだろう。それって本当にキャラクターをちゃんと理解しているんだろうか、と疑問に思う。

そして、2.5も盛んな世の中。俳優厨と原作厨は度々対立する存在だと見ていて思うのだが、そんな中で「推し俳優が演じてるキャラだから原作もこのキャラが推し」みたいな人もゴロゴロいる。逆もまた然りで、「推し声優が演じてるキャラを演じてる俳優だからこの俳優推すわ」みたいな人もいる。

それってお互いにバズーカ向けて乱射してない?どっちもお互いにムカつくだけじゃない?

「原作では○○推しだけど舞台観たら△△役の俳優がかっこよすぎて原作でも△△が気になってきた」とか言うのはよくあることだし、それが2.5のメリットのひとつでもあると思う。

でも「推しが演じたから」が理由でそのキャラクターを推すのは何か違和感がありませんか。この違和感は私だけですか。「推しが演じたから」ってキャラクターを推す理由になりますか。

個人的にはキャラクターを掲げているだけで結局は推し声優、推し俳優しか見ていない。キャラクターのことは見ていない。なんなら推し声優、推し俳優の芝居もちゃんと見れていないんじゃないだろうか。

勿論、推しの芝居をしっかり見てキャラクターをしっかり理解した結果「推す!」となる人だっているのは分かっている。でもそんな人ばかりじゃないと思うから違和感を抱く。むしろそんなしっかり見て理解していない人の方が多いような気がするからモヤモヤする。

推しが演じるものならなんでも好き」を主張している人々は、それが推しにとって嬉しいことだと思うのかもしれないが傍から見たら「ただ推しの名前に反応しているだけで本質的なものは何も見ていない人」にしか見えない。

それって推しにとって嬉しいことだろうか?逆に失礼に値するんじゃないのだろうか?

que-9.hatenablog.com

 役者自身がキャラクターを私物化することが多くなってきたので、キャラ=役者として見てしまうのも仕方ない気もするのだが、だからと言って役者とキャラをセットとして考えてセットで推す、というのは何か違う気がする。

推し方」は人それぞれなので別にいいのかも…と納得しかけたが、そういう同担が突然やって来て「同担だからよろしくね!」とか言ってきたら、と思うと私は仲良くしたくありません(にっこり)

カノバレに思うこと

色んなところで色んなカノバレがあり、炎上を見かける日々が続いておりますねこんばんは。

ちなみに私の推しさん(俳優)はずっとカノバレしていません。他の俳優ファンからも逆に大丈夫なの?と言われる。だ、大丈夫なんじゃないかな…?

推しくん(声優)はカノバレしたけどね!

さて、昨今カノバレと言っても色んなカノバレがあるなーと眺めていました。

ケース①SNS等で俳優本人がにおわせてバレる。

ケース②SNS等で彼女がにおわせてバレる。

ケース③週刊誌にすっぱ抜かれる。

ケース④デート中を盗撮され流出。

ケース⑤知人が2ショットなどを流出。

ケース⑥所持物(お揃いのもの等)からバレる。

などなど…ほかにも色んなケースがあるかもしれませんが私が聞いたことのあるカノバレはこんな感じかと。

そこに新たなケースが出てきた。

ケース⑦彼女がテレビで暴露←NEW!!

 

正直言って、カノバレそのものは別にどうでもいい派です。そりゃあリアコさんはしんどいということは重々承知しているし毎回心中お察しします…という気持ちになる。

でも恋愛することは悪いことじゃない。「恋愛禁止」を掲げているアイドルじゃない限りむしろ「どんどんしてくれ~」という思い。

芝居とか音楽とか、「感情」を引き出して「表現力」を要するものはそれなりの人生経験がないと難しいと思う。恋愛ひとつで芝居に深みや幅が広がるのならば「もっと恋愛してくれ」と思う。昔、役者をやってる友人が「芝居のために恋人つくれと言われた」と相談して来たことがあったので芝居に恋愛はいいスパイスになるのかなと勝手に思っている。

そもそも、プライベートで恋愛してようがしてまいがプライベートなのでどうでもいいっす。

だからカノバレそのものはどうでもいい。が、クソみたいなカノバレをしたときは別だ。

ケース③~⑤は、まあしょうがないと思う。

週刊誌にすっぱ抜かれるのはその記事の書き方にだいたい悪意があるので不愉快だけど、しょうがないかなーと思っている。内容にもよるけど。

デート中に盗撮はもう盗撮する方がどうなの?と思う。一介のファン(ファンじゃないのかもしれんが)がプライベート中の俳優を盗撮はさすがに駄目だろう。

ちょっと前にもプライベート中の芸能人を撮るなんて芸能人には肖像権がないのか、という議論が繰り広げられていた気がする。そのときも意見は分かれていたような気がするけど個人的にはプライベートくらいそっとしてやれよ…と思う。

⑤のように知人から流出するケースは、俳優は防ぎようがないので仕方ないとは思う。しかし知人から流出されるほど俳優は恨まれていたのかと思うと残念だ。ちなみに私の推しくんのケースも恐らくこれ。実際どうなのかは知らんけど。

流出した知人もどういう関係なのかによってまた印象が変わる。それが単に恨みを持った友人なのか、元カノなのか、遊ばれた女なのか。

流出したことそのものについて俳優本人は悪くないと思うけど、それまでの行いによって流出させられたと思うと一概に「推しは悪くない!」とは言えないかな…。

そして俳優側の失態①、⑥。

まず、「におわせ」を俳優本人がしているとしたらもう無理です私は。「ファンを馬鹿にしてんのか」と思ってしまう。「におわせる」くらいならいっそ交際宣言でもしとけと思う。いやいちいち交際宣言なんかされたくないしどうでもいいけど(矛盾)

そして所持物からバレるのは、たとえ「におわせる」つもりがなかったとしても「アホかよ」と思う。もうちょい注意力を身につけてほしい。

で、②と⑦についてだが⑦の件の彼女さんがテレビで述べていたことは「におわせ」てる彼女たちも同じ気持ちなんだろうなと思った。「ファンは出待ちしたり推しに会うために必死になっているけど、私は彼女だからいつでも会える」という優越感に浸っているんだなあ、やっぱり、と改めて思った。彼女さんたちは自分の彼氏のファンの努力(?)や気持ちを踏みにじり、それを快感だと思い、見下して馬鹿にしている。と私は感じる。

こうやって言葉にするとこの女たち死ぬほど最低でクズだな!と思うけど、その女を選んで好きになったのは俳優自身だと思うと俳優に対しても死ぬほど幻滅する。

これらは女が勝手にやったことであり、俳優本人は何も悪くない!悪いのは女!という人をたまに見かけるけど、それって「女は浮気されたら浮気した彼氏ではなく相手の女を恨む」という現象と似ているなと思った。それが女の性なんですかね。よくわかんないけど。

私個人としては「そんなクズ女のクズな部分に惹かれたのか、そうでないところに惹かれたのかは知らんが結果的にクズな女を選んだアホな俳優」というレッテルが貼られてしまう。

「どんどん恋愛してくれ」というわりには許せないことが多くてどっちだよ!って感じですが、とにかく普通に普通の恋愛をしてほしいだけです。

一般人だって自分の恋愛事情を仕事に持ち込むなんてあり得ないし、それは俳優だろうが一般人だろうが変わりはない。だから仕事中は仕事に集中してほしいし、俳優なんてファンがつくものなのだから自分の仕事の特殊性を自覚して気を付けてほしいと思うだけです。

つまり何が言いたかったかと言うと、推しくーん!どんどん恋愛しような!どんどん恋愛してもいいけど恋愛だけに現を抜かさずしっかり仕事もしような!そして女を選ぶときは慎重にな!よーく考えて選ぶんだぞ~~~~~~~!ということでした。

どこからがキャラの私物化?

はてブロを見ていて「役者のキャラを装ったツイートが無理」という記事をいくつか見かけて「この感情を抱いているのは私だけじゃなかったのか…」と感動したところですどうもこんばんは。

色々思うところはあるのだが、一番言いたいのは「お前=キャラじゃねーよ勘違いすんな」ってことです。お口が悪いねごめんね。

2.5俳優の場合、キャラと同じ衣装、ウィッグ、メイクすべて装備して見た目からすべてキャラになりきって演じるのだからツイッターでキャラの格好での自撮りをアップするのはまあ仕方ないというかよくあることだと思う。

しかしそこにあたかもキャラの台詞のような、キャラの口調でのコメントをつけ、小芝居のような自撮りをあげるのは、役者的には「キャラとしてのオフショット」のつもりだろうが、原作厨からすると「いやあんたは公式じゃない」と思ってしまうのだ。

それでも俳優厨からしたら喜んでる人もいるだろうしこの文化(?)はなくならないのだろうな…と思っているけど「役者は公式設定をもとにして演じているのであってあなた自身が公式な訳じゃない」ということは自覚してほしいなとは思う。

ここからは古のオタクBBAの意見ですBBAでごめんなさい。

私が舞台を好きになった当初、スマホなんてなかった。ツイッターなんてインスタなんてなかった。かろうじてブログがあったくらいだ。自撮りがアップされることはあっても、大抵メイク後か公演後のすっぴんの写真だった。

だから役者の、「役としての姿」を見れるのは本当に舞台上だけだった。

綺麗な衣装とメイクをフル装備した推しが見れるのは劇場に行ける者だけの特権みたいなところがあった。当時は円盤化も確実にあるわけじゃなかったし。

そんな時代を経たからか、ツイッターを開けばこんなにフル装備の役者を拝めるなんて、なんかめっちゃ動揺する。こんなに見ちゃっていいの…?舞台のお楽しみ感半減しない?みたいな。

まあ、これも時代なのかな…と悟りを開いているところです。

ここからはバンギャの勝手な意見ですごめんなさい。

2.5は大体派手髪+カラコンを装備する。更にはメイクもする。

それにより「わ~~~2次元から飛び出てきたみたい~~~」っていう役者も沢山いる。

しかし中には「いやそのメイクの仕方ただのオサレ系V系バンドの麺じゃん!!!!!」というのもいる。

さらに自撮りにフィルターやらなんやら加工するもんだからV系麺感が増す。

そのキャラがバンドマンみたいなキャラなら100000歩譲っていいとして、そうでないキャラなのにV系麺感全開だったら解釈違い甚だしいというか、そもそも「そのキャラ」ではない何かだ。

そりゃ自分の顔をより写り良く、かっこよく綺麗にしてファンに見せたいだろう。わかる、わかるよ。でもそれって結局「綺麗な自分」を見て欲しいだけだよね?キャラのイメージ壊してまでやる必要ある?自分の素顔でどうぞ?

 

ここまでは「俳優の自撮り」についてだったが、ここから声優のキャラ私物化について。

昨今アイドルもの作品が多く、声優が「アイドルの中の人」として歌って踊るライブなんてよくある。

そんな世の中だからこそ「声優=アイドルキャラ」として見ているファンもいるし、そのつもりで出ている声優もよくいる。でも声優は声優。役者なのだから「アイドルを演じる者」なだけだと思う。

ライブ時にはキャラと同じような衣装を声優が着たりするから声優そのものがアイドルみたいに見えるのはわかる。しょうがない。でもこの人たちの職業はアイドルか?違うじゃん?声優じゃん?

キャラにより近付けようと眼鏡をかけたり髪型を似せたりアクセサリーを付けたり…1000歩譲ってキャラの特徴的なアイテムを身につけることによってキャラ愛を表現しようとしてるなら微笑ましいけど、ウィッグ被ったりしてるのを見ると、あれ…声優ってレイヤーですか…?声優って演じる職業じゃなかったっけ…。と思う。

「キャラの名前を背負って人前に立つ」という時に一番やるべきことは「見た目を近付ける」ことなのだろうか?それも大事という人もいるかもしれないけど、私としてはそれよりも「キャラをしっかり理解してキャラからぶれない」という努力をしてほしいと思う。

演技も歌もキャラとしてぶれずにしっかりやってくれるのであればコスプレしてようがキャラのアイテム装備してようが構わないのだが、キャラに見た目を近付けようと試行錯誤している人に限ってキャラぶれがひどかったりするような気がする。個人的に。

そして見た目を近付ければ「俺=キャラ」だろみたいな空気を感じると「だからお前はキャラそのものじゃねぇ」という気持ちになる。

本当にキャラ愛があって、キャラのことを理解していて、キャラを大事に演じようと思っているのであれば自ずと最優先すべきこと、一番努力すべきことはなんなのかわかるのではないだろうか、と思う。

そして声優にはありがちな「名台詞をポンポン言っちゃう」現象。特にベテラン勢に多い気がする。

某バラエティ番組で某大御所声優がリクエストされた名台詞を言っているのを見て「いや~~~~その台詞そんな軽々と言っていい台詞じゃねぇんだよ~~~~~我らオタクにとって深い傷と衝撃と涙と思い出を与えた大切な台詞を~~~そんな軽々しく言わないで~~~~~~」と発狂してテレビを消した。

番組の構造上、仕方のないことだとはわかってはいる。大御所声優本人も別に軽々しく言っているわけじゃないのはわかってる。でも、やめてほしい(わがまま)

たしかにあなたが放った最高の台詞であるし、あなたが我々オタクに感動を与えてくれた台詞であるけど、「あなた個人の台詞」ではない。わかってほしい。ファンサのようなつもりで「演じた役の名台詞」を提供してくれているのはわかるけど、あくまでも「演じた役の台詞」なんです。あなた個人のものじゃないんです。

うわー厄介なオタクだ!めんどくせぇ!面倒なオタクだな私は!

どうも現実的なオタクなせいか、キャラはキャラ、役者は役者って区別したくなる私。

もっと頭がぱっぱらぱーなお花畑ゆるふわオタクなら何でも提供されるものありがたく受け止められたのかな。ごめんね現実的なオタクで。

愛を持って演じてくれてるのはわかる。その愛の向け方がずれると私物化しているように見えてしまうのかもしれない。どこからが私物化なんだろうね。難しい。

愛を持って演じてくれているのはすごく嬉しいのに。

ただ、キャラのアイテム付けときゃキャラ愛出せるっしょとか思ってるタイプの声優さんは勘弁してください。

茶の間のはなし

茶の間と聞くと、どんなイメージがあるだろう。

憎い!消えろ!って人が多いのが今の世の中なんだろうなって勝手に思ってます。

たしかに「公演には行け(か)ないけど続編は待ってる~~」とか「公演には行け(か)ないけど応援してます!」とか言う茶の間はふざけんなと思う。アホかって思う。

声のでかい茶の間は嫌いだけど、茶の間でいようが遠征しようがは個人の勝手だと思ってるので「茶の間全員公演来いよばか!」とかそんなことは思わない。

特に今は2.5が乱立して色んな作品が多くある。

2.5はそもそも「メディアミックス」の一つだ。アニメや漫画が舞台化されるとそのキャストのファンはもちろんだが原作ファンも流れてくるのは当たり前だと思う。

舞台のチケットって、舞台に縁のない人からしたら結構躊躇する額だと思う。そこで「観に行ってみよう」と思わせるのはそんなに簡単なことではないと思ってる。

だからこそ劇場に行くよりも手軽な配信だったりライビュが大繁盛する。

もちろん、今まで映像でしか舞台を観たことがないって人は「うわ~~~~~~めちゃくちゃ損してる!!!!!舞台は!!!生で観るのが!!!一番なのに!!!さらに言えば回を重ねるごとにまた味わいが違うのに!!!舞台の一番の醍醐味をわからず舞台が好きだなんて!!!!それで本当に舞台が好きとか言えるのか?????」と思う。

だからこそ「舞台観にいきたいけど劇場まで行く金を払うほどか…?」と迷っている人に対してのライビュがあり、キャストはその人たちに劇場まで足を運んで貰えるように「是非劇場にも来てください」と声掛けをするのではないだろうか。

だから「キャストにそんなこと言わせる茶の間最低滅びろ」みたいなのは、ちょっとピリピリしすぎじゃないか?と思うわけだ。

何度も言うがライビュで満足しているような茶の間が推しくんの舞台がすき~とか言ってるのは何言ってんだお前ってなるけど、ライビュ観てる人全てがそんな腐った茶の間だとは限らないと思う。勿論、そういう茶の間に向けての声掛けでもあるだろうけど、一番の相手は「劇場に行くか迷ってる層」なんじゃないかと。

そこからどんどん「好きなら全通が普通」とか「私なんて毎回○○公演行ってるけど?グッズも買うけど?」とかマウント張り出しているのを見ると「○○なら~~~すべき!」ってほんとにオタク楽しいのかなって思ってしまう。

そりゃ劇場に行ってグッズを買ったほうが推しの懐に入る金額は増えるだろう(グッズとか円盤の金がどのくらいの比率でキャストに渡るのかはよく知らんが)

推しが好きで推しに幸せに暮らして欲しいと思うなら少しでも推しに入る金を増やしたいという気持ちもわかる。私もよく思う。

けどそればかり気にしていると、しんどくない?オタクだってオタクの生活があるわけだし。それを投げやりにして「推しのために!推しのために!」ってそのうち絶対しんどくなる。絶対疲れる。というか私も少し前までそんな感じの気持ちでいたけど実際しんどくなった。だから推し事はできる範囲で自分の心身共に健康であることを前提にするのが一番だと思う。

だからと言って茶の間は茶の間のままでいいよみたいなぬるいことを言いたいわけじゃないが。茶の間は舞台の本当の良さを知らない残念な人たちだなと思うけど。

でも「ライビュは茶の間の温床だからやらなくていい」はちょっと違うだろ?と思う。別にライビュは茶の間を育成させたいわけではなく、現場に行くことを躊躇っている舞台慣れしていない勢に興味を持ってもらうきっかけにすぎないんじゃないかと私は思っている。

それとちょっと話は逸れるが「推しが好きならチケ取り全力で頑張れよ。譲渡も探せよ」とか言う声もよく聞くけどチケットの譲渡なんて今まさに詐欺で騒がれているのになぁ…と思う。チケット詐欺に遭う可能性はツイッターで譲渡・交換する人全員があるしそれを防ぐ術なんてないだろうに。そこまでのリスクを負ってまでチケット取りたいとは…正直私は思わない。(私が行きたい舞台はいつも抽選で落ちることがほぼないのでそんなことを言えるのかもしれんが)

まあ、当日券並ぶ努力はしろよとは思うけど。

そして声優イベントはまた違うけど、推しが好きならイベント行って当たり前とか聞くと「いや声優ってイベントタレントなの…?」と思ってしまう。

私も好きなアニメ作品のイベントに行きたくて買った円盤のシリアルで応募しても当たったためしがない。それほど倍率が高いってことはよくわかっている。

行きたいなら何枚も買って応募すればいいじゃんって言われればその通りだけどそれならイベント行くより円盤を何回も見る方がずっといいなと思ってしまう。

極端に言うと、アニメが好きで円盤全巻買って何度も観ている茶の間の方がイベント行きたいがためにシリアルが入っている円盤のみ何枚も買ってOAすら見ず内容もわからないまま推しを見るためにイベント行く現地勢よりずっと好感が持てる。

ま、そういう同じ円盤を何枚も何枚も買う現地勢がいるからアニメの円盤売り上げがなんとかなってるのかもしれないけど。

でも実際現地に行ってアニメの話はわかんなかったけど推しがかわいかった~内容わかんないけど~とか言ってんの見ると帰れって思っちゃう。

一口に「茶の間」と言っても全てが全て悪なわけじゃないと思う。もちろん現場に行く努力をした方がいいに決まっているけど。現地にいるオタクが偉いとか、全通した方が偉いとか、そういうのめんどくさくありませんか。

純粋に観たいと思ったら行けばいいし、わざわざ行くほどじゃないなと思ったらそれまでの話。茶の間は「行くほどじゃない」と判断しただけの話。その上で「私が一番推しくんが好き」みたいな発言していればキレていいと思うけど。

推しへ応援していることを明確に表せるのは金を出すことだとは思うけど、それをオタクすべてに強要するのは違うと思う。その人の金だし、その人の勝手だし。

そうやって「推しのためを思うなら○○すべき」とかオタクのルールみたいなものを声高に表明していると「舞台オタクって怖いから舞台行きたくない」って結末になってしまうんだろうなと思う。現になってる気がするけど。

原作厨や新規が嫌いだからそれで結構というオタクも多いだろう。その気持ちはわかる。でもそれって推しが望んでいることなのだろうか?

推しはもっと沢山の人に知ってほしい見てほしいと思っているのではないだろうか?それをオタクが阻んでどうするんだろう。

そして金を払わずしてあーだこーだ言う茶の間は、自分は推しのために何も貢献できていないことをしっかり自覚し、これからも無力な茶の間のままで頑張ってくださいと思うばかりだ。

今回のこの記事はツイッターで話題になっている「ライビュもいいですが是非会場に足を運んでください」発言したキャストの話から「推しにこんなこと言わせる茶の間最低」という流れを見て書かせていただいた。

実際に公演に行った人たちは「彼は2.5やライビュをきっかけに舞台を好きになってくれる人が増えてほしいと思って言ったんだろう」と言っているのに対し、実際公演観に行ってない人たちが「こんなこと言わせる茶の間最低だろ」と言っている状況が大変面白いなと思いました。

 茶の間茶の間言い過ぎると自分にも返ってくる。全ての作品全通なんてすごく難しいことだからね。そうやって自分の首を絞めてもなお、オタクは楽しいんですかね?とふと思ったのでつらつら書きました。

とりあえず私は推しさんのお仕事情報待ってます。

ブログのグループのはなし

最近仕事(仕事)と仕事(ソシャゲ)が忙しくなりブログを書けていませんでした。

さて、最近話題になっている「グループ」についてです。

正直最近更新サボってる私があれこれ言うのもあれなので(語彙力)スルーしようかと思っていましたが、いくつかブログを拝見して書こうと思いました。

 

まず、途中から参加した・はてブロを始めた私は「グループ」の定義がよくわかっていませんでした。

「同じものを好きな人たちが集まる場」みたいな感じで捉えていたので「このテーマに沿う話題のエントリーが集まる場」と知って「あちゃ~知らんかったわ~」とか思いました。

個人的には単に若手俳優オタクさんが集まる場だと思っていたので多少テーマがずれていても「若手俳優オタクさんに知って欲しい見てほしい」みたいな話題を投稿することもあったかもしれないな…とか振り返っております。

そしてこういうブログの「グループ」って「ブログにその要素が少しでも含まれていれば参加する」だけであとは投稿が自由みたいなイメージがあったので好き勝手に色んな話題を投稿していたような気もします。

どういう経緯でできたグループなのかもよくわかっていないので、「このグループはこういう記事を書いてください」と言われたらそれに従うしかありません。

とりあえずはカテゴリ分けをすべきかとは思いますが、今までも自分でカテゴリ分けをする際「これは推しの記事?推しを思う自分の記事?」と悩むことが毎回ありました。なのでカテゴリ分けしてもグループに沿わないエントリーを紛れ込ませる可能性もかなりでかい。

そしてまた、推しの名前を伏せるべきか明記すべきかみたいな問題も出てきたり。

推しについて語りたいけど、名前は伏せたい。単純にエゴサ・検索に引っかかりたくないからです。

現に私のブログには検索から訪問してくださってる方も多くいます(個人的にその検索ワードが絶妙に面白いので楽しみにしてたりします)

名前を伏せてもいいから公演について(≒レポってことだと解釈します)書くと言うのはちょっと書きづらい。一回だけ書きましたが名前を伏せる分、わかりにくさが半端じゃないので、もうブログでレポや公演のことを書くのはやめよ…と思いました。

そして舞台って捉え方や感じ方は人それぞれですし、推しが違えば見るポイントも違ったりします。「すごくよかった!」と思う人もいれば「全然よくなかった」と思う人もいる。そんな中、自分の解釈オンリーのレポを書いて誰かの癪に障るようならこういった公の場で書くべきではないよな、とも思います。

とは言っても、レポを読むのは好きなので色々と読んだりするんですけど私のレポ(とも呼べない雑記のようなもの)は非常にひねくれてると自覚してるので多分不快にさせるのではないかと思ってます。

なので自分の観劇記録のためのレポを書くのは大好き野郎な私ですが、レポ系は鍵つきのツイッターでフォロワー限定記事として投稿しています。

そうすると、定義されているようなエントリーは書かないんじゃないか…と思ったところでそれ以前の問題に気付いた。

そもそも、私の推しは「若手俳優」なのか?

年齢、芸歴ともに考えたところで、えっと…若手…じゃ……なく…ない…?(苦し紛れの回答)

若手といつも一緒に出演してるけど、推し本人は若手では……ない…かな…??いやでもこのグループでよく見かける名前を見ると私の推しも若手なのでは…???いやでも年齢的にはもうおっさ(自主規制)

以前バズった「結婚したい若手俳優ランキング(うろ覚え)」に奇跡的にランクインしていた我が推し。あれにランクインしていたということは世間的に若手ということか?とか考えると「若手」の定義もわからなくなってしまった。

とか色々考えると、今回の件を受けて「なんだかブログが書きにくくなってしまったなあ」というのが正直な私の気持ちです。

推しや舞台や好きなことに対して色々考えたまとめを長文にして書き綴りたいと思って始めたこのブログ。

壁打ち気分で始めたはずなのに、いつのまにか読者様やスターが増え、嬉しくなって楽しくなっています。いつもありがとうございます。

壁打ちのつもりで、軽い気持ちで始めたとは言え、読者様やスターを頂く身としてこんなちゃらんぽらんのままではいけないとわかっているのですが、今後はとりあえず様子を見てそれから具体的にどうすべきか考えようと思います。

とりあえずは今までのグループも、そして新しく出来たグループにも参加させて頂いております。お前はこっちのグループにいるべき人間じゃないよ!という時はこっそり優しく教えてください。

ともかく、今後もうだうだと考えをまとめるために長文を綴ると思いますのでどうぞよろしくお願いします。

オタクの家庭環境

グーグル検索でこのブログに辿り付く方が結構いるようだ。なかなか面白い検索ワードで辿り付いてくれる方もいるみたいで私は嬉しいです。

さて、地方VS都内論争がまだ白熱している中、「親に観劇趣味を言うのか問題」もじわじわと来ているようだ。

早速本題に入るが、私の家庭は多分相当厳しかった。それが普通だと思って育ってきたので厳しいという感覚はなかったが、周りの友人たちに家庭での話をすると大抵ドン引かれるので多分厳しかったらしい。

軽く我が家のオタク状況をまとめてみる。

・父→私が小学生くらいの時毎週マガジンとサンデーを買ってくるレベルの漫画好き。その後娘がジャンプ作品にばかりハマる悲しい未来が待ってる。

・母→オタク趣味は一切ない。お嬢様学校出身のためか、母の中でライブや舞台のチケットの相場が基本的に高く設定されている。あえて否定してない。

・兄1→漫画とアニメをさらっと見るレベルのライトオタク。の癖に作品の解釈にはこだわりがある面倒くさいオタク。

・兄2→ジャンプ系とかが好きな超ライトオタク。友達とかにいたら絶対仲良くしたくないタイプのライトオタク。

 こんな家庭でどうして私はバンギャ、2次元オタク、舞台俳優オタクという3拍子揃ってしまったのだろうか。

とりあえず、小学校から大学まで、「外出するときは誰と、どこに、何をしに行き、何時に帰るか」を事前に言わないといけない家だった。もちろん言った後で内容や場所によっては「行っては駄目」と言われることもあった。

中学の時、バンギャという人種になった私は親にライブに行きたいと申し出たところもちろん駄目。

高校生になると「テストで学年○位以内に入ったらいいよ」という許可が下り、結構厳しい条件だったが必死に勉強し許可を貰って数回ライブに行った。初めての東京遠征もこの時だった。遠征の時の条件が鬼畜すぎたことを今でも覚えている…。

大学生になると「自分で稼いだ金で行け」と言われ、バイトをして遠征に行くことが多くなった。しかし行きたい時にいつでも行っていた訳ではなく、頻度が多かったり試験が近いと許して貰えなかった。

で、現在社会人になり実家を離れた。1人暮らしなのでいちいち「どこに行く」ということは言わないが、聞かれたら言うようにしている。

それでも結構な頻度で遠征していることを親は承知しているが、あまりにも私が仕事でのストレスを溜めすぎているので趣味で発散することを理解してくれている…ような気がする…。なんか申し訳ないような情けないような…。

しかし勿論、遠征の他にゲームに課金をしているなんてことは言えないし、同じ舞台に複数回行っていることも言えない。

今思えば学生時代は金の使い道も親に報告していた。特に高校までは「お小遣いでこれを買わせて頂きました」と。私が貰ったお小遣いと言えど、結局両親が働いた給料から捻出されるものなのだから報告して感謝をしろ、みたいな。

故に、親は大体私のオタク遍歴を知っている。正直オタク趣味に全く理解のない親なのだが「やることをしっかりやるならいい」精神だったのでテストの点数が落ちたりしない限り趣味を否定されたり禁止されることはなかった。

なんなら両親が外出した先で見つけたフライヤーとかやたら私にくれた…。「若い男の子がテニスラケット持ってるから好きそうだと思って」と某舞台のフライヤーを渡された時は「親は私の趣味をどう認識してんだろう…」と複雑になったが。

 

今は1人暮らしなので自由だが、この先の転勤によっては実家に戻る可能性がでかい。

何より親も歳だし、同居してる祖母も歳だし、私もしょっちゅう体調を崩すし。お互いに同居した方が何かと安心なので実家に戻ることは希望に入れている。(まあその後は嫁に行けって言われるんだろうけどね!つらすぎだね!無理!)

実家に戻ったらこんなに毎月遠征とか行けないんだろうなあとは漠然と思っている。が、どこに転勤になるかはわからないし実家に戻れるかもわからない。もしそうなったらそうなった時に考えようかな、と。

私が実家に戻る頃には推しさんも毎月舞台やるような体力無さそうだし(小声)

とりあえず、推しだっていつまで舞台に立ってくれるのかわからないけど、私だっていつまでもこんなに遠征できる生活が続くかわからない。

だからやっぱり行ける時に行かなきゃ…って強く思う。

そして地方VS都内論争の話になるけど、「学生で親が厳しくて」という人はちゃんと親と話し合ったのか、親に許してもらえるほどの努力をしたのか、と問いたい。

逆に「親の言うことなんて聞けるかよ」という学生は、自分が今生活できているのは誰のおかげなのかを考え直した方がいい。その上で優先順位を決めた方がいい。

ま、結局は家庭も人もそれぞれなので個人、家庭に合った方法でオタクするのが一番だと思います。

「こうするのが正しい」とか「ファンならこのくらいすべき」みたいなものはどうでもいいと思ってる。

マナーや一般常識、推しの気持ち、周りのオタクの気持ちを考えることは大事だけど、あとは自分の出来る範囲、出来る方法で推しを推すのが一番かと。

 

推しとオタク

最近、とあるツイートが回ってきた。ファンとアスリートの関係性についてのツイート。

『貴方のお陰で私は戦い続けられたわけじゃない。私が戦い続けたから貴方はファンでいられた』

私達が応援してあげたお陰でと思った瞬間もう一線を超えてる。

 これを見た時、自分のエントリーを思い出した。

 

que-9.hatenablog.com

 まさに「ファンがいたから役者やってけてるんでしょ?感謝して?」みたいなことを書いていた。

そう思った時点で一線超えている。うわーーーーーその通りだーーーーーー!!!と大の字になったのだが、でもすごくモヤモヤした。

こっちだって「ファンに感謝してよ!大事にしてよ!」と推しに向かって言いたくはない。

私の場合は推しに対してそんな感情を持った瞬間推すことをやめるけど。

でもこの世の中、「芝居や歌は好きだけど、ファンに対する態度が好きじゃない」みたいな人は少なくはないと思う。

そういう人を好きな方々はどんな気持ちなんだろうと思うとちょっとつらい。

アスリートと役者、アイドルなんかはちょっと立場が違うけど、たしかに「戦い続ける姿」が好きで応援するのは同じだと思う。

だから舞台を見に行くし、全通したりグッズ買ったり円盤買ったりお金を落とす。

でもその戦い続けることをやめたら、もしくはその姿が嫌いになってしまえば応援することもやめることになるのかな、と。

とっても乱暴な言い方をすると「俺のやり方が気に食わないならファンやめろ」ってことになるのかな、と思うとすごい悲しいことだと思った。

仮に推しがそんなことを言ったら「はいはいファンやめまーす」とすんなりやめられるだろうか。

死ぬほど幻滅するのでそりゃ今までのように応援したくないとは思うけど、それまでの好きだった推しのことを思うと、そんな簡単に気持ちを切り替えられる気がしない。

「ファンのお陰で戦い続けられた訳じゃない」と思うのは構わない。「私が戦い続けたからあなたがファンでいられた」と言うのならば、私達ファンがファンでいられるように戦ってほしいとは思う。

カノバレとかクズバレとか色々ある世の中で、幻滅したからファンやめる、とか戦い方が気に食わないからファンやめる、とかそんな簡単にやめられるほど薄っぺらい気持ちで応援してるわけじゃないんだよなぁ…と気持ち悪いオタクは思います。

「だからそれでも応援してるファンに感謝して!」とは言わない。

でも、やはり推しにオファーが来るには実力や役に合ってるかはもちろんだが、それなりの知名度も必要だろう。

この役者一人でどのくらいの集客力があるか?なんてとこも制作側からは見られているだろう。

そしたらやっぱりオタクはいないといけない。

推しの仕事のためには沢山のオタクがいないと、推し知名度がないとされてしまう。

やっぱり何度も言っているが「推しが人気だと伝える手っ取り早い方法は金を落とすこと」に行き着く。私の場合は。

「別にそんなこと頼んでない」と思われようが私は推しのために金を落としたい。

金を落とすという表現はあれだが、普通に公演を見てブロマイドを買って円盤を買う。だって推しが見たいから。

推しが見たくてお金を落とすのだから推しのためというより自分のためでもある。それが推しのために、少しでも役に立っていたら最高だと思う。

だから感謝してほしいとかは思わない。私がしたくてしているし。

ただ、役者やアイドルのような人気商売ではファンの存在は必要だと思う。ファンの立場からは言いにくいことだけど。

何が言いたいかわからなくなってきた。

「私が応援してあげたお陰」とは思わないから、私達が心から応援できるような姿を見せて欲しいとは思う。

その姿が見たくて私は推しを応援してるから。