おたくのひとりごと

舞台俳優、ワンピが好きなバンギャのゆるいブログです。

接触イベントのはなし

7月ももうすぐ終わるなんて早すぎる。と思っていたら8月も中盤に差し掛かっている。
……うそだろ?

誰か私の家のカレンダー多めにめくったでしょ???????(それはない)
まあでもありがたいことに忙しくさせてもらっているからか時の流れがあっという間でした。
って言うと若手俳優感が出ますね(出ない)


さて、今回はぼやきブログです。


若手俳優茶の間オタクの友人、ライトオタク、バンド好きな友人が口を揃えて言う。

「接触イベントは無理。行けない。」

わかる。私もそうだった。
とか言っといて私の場合バンドのインストイベントとかは行ってたけど、なんだか推しさんについてはどうしても行く勇気がなかった。
一人だから不安だし(自ら同担との関わりを遠慮してるくせにこういう時だけ弱気なオタク)(まあ同担との関わりを遠慮してるからこそ怖いみたいなとこもある)
なにより推しさんへの尊敬の念が強すぎて私なんぞを視界に入れさせてしまうなんて恐れ多くて無理だったし私自身も間近で推しさんと対面するなんて考えただけで緊張でぶっ倒れそうだった。

推しさんは役者だ。
オタクに笑顔を振りまいて接触イベントをすることが本業ではないはず。本来なら台本読み込んだり稽古したり、休息する時間の方が大事なはず。
それに、接触イベントは色んな形があれどチケットや円盤などの売り上げを伸ばしたいがためにしている印象もある。
推しさんは仕方なく接触をしているのではないだろうか。もしかして負担なのではないだろうか。
そう思ったら「私のようなクソオタクは行かない方がいいのでは」という気持ちになり、イベント類は全て見送っていた。

しかし突然脳内のメーターがバグって(?)イベントに行きたい衝動に駆られた時があった。
長年「私なんかが行っても負担になるだけ…」と自意識過剰&ネガティブを爆発させていた私は当然迷い、友人たちが背中を押してくれて勇気を出してイベントに行った。

すっげー楽しかった。(あまりにも語彙がない)

思ってた以上に推しさんは楽しそうにオタクと話していて、それは私にも同じで、私の一言ではしゃいでくれて、なんか不思議な気持ちだった。
私なんかの言葉でも喜んでくれるんだ…とその時初めて感じた。勿論私に対してだけではないが。
それ以来、接触イベントに足を運ぶようになった。

以前のはその場のテンションとか周りのテンションに釣られていただけかもしれない…今回は違うかもしれない…とまたしてもネガティブ&自意識過剰を爆発させたまま接触したが、やっぱり推しさんは誰にでも楽しそうに優しく話していて、私にもそうだった。
接触イベントの回数を重ねるごとに、推しさんの初めて見る新たな一面や「やっぱりこういうとこあるんだ」みたいな一面も垣間見え、どんどん好きの気持ちが増して行った。

個人的には接触に行ったからガチ恋を自覚した、みたいなところもあるけど接触とガチ恋の関係性って認知とか色々複雑で難しいので一旦ここではガチ恋のことは忘れることにする。あくまで「ファン」としての接触イベントを考えた話だと思ってほしい。
まあこれが一般的なのかは知らんが。

ある時、推しさんが「イベントで直接お客さんと話せることが嬉しいし楽しい。お客さんの楽しそうな顔が嬉しい。それがあるから頑張れる。(ニュアンス)」みたいなことを言っていた。
私は推しさんが仕事を頑張れる活力の根源は「芝居が好き」という気持ちのみだと思っていた。
別にそう言ってた訳じゃないけど、なんとなく勝手にそう思ってた。
たとえファンを喜ばせるための営業トークだとしても、そういう発言を聞いたあとの接触で輝く笑顔を思うと、本当にあの接触の時間が楽しいんだろうなと思えてきた。
だから私は接触に行こうと思った。
接触の数十秒では舞台の溢れる感想なんて伝えられないけど、直接対面して言葉を交わすからこそ、手紙では伝えられない言葉と想いが伝えられると思う。
直接対面して言葉を交わす接触イベントってそういうものなんだと、改めてそう思った。

過剰接触(めっちゃ密着するチェキとか)のイベントも「負担なのでは」となりそう。
私は経験がないので未経験者がとやかく言うべきじゃないと思うけど、あれはあれで当事者(そういうイベントをする役者さんを推してる方)にしかわからないものがあると思うし、役者本人が望んでやっている(自ら望まなくても事務所や本人が承諾している)ことなら「負担なのでは」と外野が心配するのはお門違いだろう。と思う。

接触が負担になっているか、楽しんでいるか、自ら望んでやっているかなんて推しにしか本当の気持ちはわからない。
推しさんの発言も表向きであって本心はどうなのかはわからない。
でも私は役者としての推しさんしか知らなくて、役者としての推しさんを推している。
だからこそ推しさんが役者として発する言葉は、例え営業トークだとしても信じようと思っている。
だってそうするしかないじゃん。それを信じずに何を信じればいいのか私にはわからない。

しかし「私の言葉で推しさんは笑顔をくれたけど本当は嫌だったのでは!?」みたいな疑いはよくしてしまう(激しい矛盾)
それも疑い出したらキリがないので、その時の推しさんの言葉や笑顔を信じたい…と思っている…(自分に言い聞かせ)

少しでも自分の言葉で喜んでもらいたい(というかマイナスな気持ちになってほしくない)ので手紙でも接触でも言葉選びは慎重にしているつもりだ。
でも、どの言葉でどう思うか、どう感じるかなんて本人にしかわからないことをいくら考えても無駄なので、せめて「常識的に考えて失礼と取られない言葉」「常識的に考えて好きな相手*1にかけるに相応しい言葉」であることはマストで心がけたいと思う。

私は役者としての推しさんしか知らないけど、推しさんは「役者」という特殊な職業なだけであって、同じ人間であることは忘れないでいたい。

とりあえず私は私で、これからも推しさんの接触には足を運ぶし、そこで可能な限り「いつも楽しいです!ありがとうございます!」と笑顔で伝えたいと思う。

そしてそこで推しさんの笑顔が見られるなら最高だな。

とは言え、推しが神格化しすぎて推しの視界に入る自分が許せない故に接触が無理ってタイプの人もいるし、極度の緊張しいで心臓がいくつあっても足りないから無理って人もいるし、「推してるから接触に行くべき」という訳でもないのだと思う。

人それぞれに推しの推し方というものがあると思うので自由にしたらいいと思う。人には人の乳酸菌。

そりゃ私だって推しさんの綺麗な瞳に自分が入るかと思ったら緊張しすぎて吐きそうだけど、少しでもマシになるようにオシャレや美容頑張るし、心臓が口から出そうだけど勇気振り絞っていつも接触に臨んでいる。

クソオタクがいくらオシャレや美容を頑張ろうがオタクなんて本質的なものなんだから外見を取り繕ったってオタクなことには変わりないし、傍から見れば無駄な努力かもしれないけど、私はその努力の過程も好きだから頑張るだけです。自己満足です。
自己満足の美容を今日も頑張ります。


あれ?着地点がずれてしまったな?まあいいか。
そんなぼやきでした。

なんか真面目なことを書いた気がする。むずむずする。


☆(どうでもいい)次回予告!!
大好きな読者さんからのリクエストにお答えした記事を書くよ!!
でも更新時期は未定!!!ただでさえ最近更新がノロいのに未定だなんてこれからこのブログはどうなっちゃうの!?!?!?
次回、「9さん下書き記事あっためすぎてそろそろ時期外れになりそうだから早く更新しよ」!!!!お楽しみに!!!!!


ここまでお読み下さりありがとうございました。

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*1:ここではガチ恋的な意味は置いといて純粋に「推し」として好きという意